私たちが手放すとき聖霊のみわざが始まります
招詞 詩篇121:1~2 主の祈り
賛美 イエスの御名により 私は主にふれられて 聖歌434 私のすべてを御前に
説教題 私たちが手放すとき聖霊のみわざが始まります(主のゆだねる力)
説教箇所 伝道者の書3:11 朴 ソンジン 牧師
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざをはじめから終わりまで見きわめることはできない。(伝道の書3:11)
概 要
私たちは日々、家族や健康、お金、人からの評価。自分の計画や経験など、さまざまなものを握りしめて生きています。しかし、神は時としてそれらを手放すよう導かれます。それは、私たちを失わせるためではなく「主よ、私の力ではできません。あなたでなければなりません」という真実な信仰の告白へ導くためです。モーセは、自分の力に頼って失敗しましたが、40年の荒野を通して砕かれ、「履物を脱げ」と語られた時、自分の主権を神様に委ねる者へと変えられました。そこから、神様の大いなる御業が始まりました。
また、神様は私たちの環境を変える前に、まず心を変えられます。ヨシュアには強く荒れ。雄々しくあれ。わたしがあなたと共にいる」と語り、エリヤには「あなたはここで何をしているのか」と問いかけ、神様に属する者としての正体性を回復してくださいました。ヨブもすべてを失う中で「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と告白し、苦しみの中で神様ご自身と深く出会いました。
正体性が回復されると、次に生まれるのは従順です。紅海やヨルダン川が開かれたものも、ペテロが水の上を歩いたのも、信仰による一歩を踏み出した時でした。神様の奇跡は、小さな従順の積み重ねの中に表されます。私たちも環境がすぐに変わることだけを願うのではなく、まず主に心を委ねましょう。
主は私たちの心に平安を与え、最善の道へと導いてくださいます。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝3:11)。手放すことは敗北ではなく、主への信頼であり、そこから聖霊の新しい御業が始まるのです。
