人生の海の嵐に
2025年03月02日
(招詞) ローマ8:31~35 使徒信条
(賛美) さあ主の家に行き 土の器 静まって知れ 聖歌472
(説教)「人生の海の嵐に」(下道定身牧師)
(聖書) ルカ 8:22~25
みことば
イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。(ルカ8:24~25)ことの発端は、主イエスが弟子たちと舟に乗り込んで「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、彼らは船出をした。そして大嵐の遭遇して、水をかぶって命の危険を経験します。弟子たちは主の言葉に従った結果、しかも主が彼らと共にいてくださるというのに、大嵐のために命の危険にさらされました。しかも事もあろうにその嵐の真っ最中に、なんと主イエスは眠っておられたというのです。眠ることもまどろむこともないと約束された主は、弟子たちが一番大変な時に眠っておられたとは。 世界的に有名なFoot Prints(足跡Iの詩があります。 夢の中で私と主が砂浜を歩いています。私の人生が映し出されて、いつでも砂の上にはふたりの足跡が残されていました。でも、私ので辛く悲しい時に限って一つの足跡しか砂浜には残っていませんでした。私は主に「私があなたを一番必要としていた時に、なぜわたしの元にいてくださらなかったのですか?」とたずねます。すると主は「あなたの試練と苦しみの時にひとりの足跡しか残されていなかったのは、わたしがあなたを背負って歩いていたからなのでよ」と言われるのです。 実は、主はいつでも、どこでも(嵐の只中にも)、主の弟子たちのそば近くに共におられます(詩篇46:1)。主は、彼らが主に御名を呼び求めるのを待っておられます(詩篇50:15)。主は風と荒浪に命じてなぎとされた天と地の万物の主権者、支配者です(マタイ28:18)。 主イエスは、あなたの信仰はどこにあるのか、と弟子たちに言われました。私たちの人生には突風が吹き荒れて舟が沈みそうになる時が誰にもあります。万物の支配者なる主への信仰の人生、秘訣はこれです。