私のために死なれたイエス
2026年03月29日
(招詞) マタイ26:26~28 主の祈り
(賛美) ホザナ王の王イエス ホザナ Above All キリストの歩まれた道 聖歌399
(説教) 私のために死なれたイエス (下道 定身 牧師)
(聖書箇所)イザヤ53:1~12
(みことば)
彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの悲しみをになった。(イザヤ53:3~4)
神はイエスキリスト誕生の700年以上も前から、預言者イザヤを通してイエスの誕生の目的と十字架の意味について、そしてイエスキリストとこの私との関係について驚くべき預言をなされました。
それは誰も聞いたことも、見たことも、考えたこともない、とても信じがたい預言ですが、全世界のすべての人が必要とし、求めている最も信ずべき確かな福音です。これを信じることは主の御腕(聖霊)の恵みによります。(イザヤ53:1)
信じがたい理由とは「なぜ、あのイエスが、」です。彼(イエス)は、不毛の地に芽生えた若木のように、神の御前に歩み通されました。人々の目に彼は見るべき姿も、威厳も、慕うべき何もなく、侮られて人々に捨てられ、悲しみと病のすえに、最後は、自分の罪のために神に打たれて、ついには悲惨な十字架で死なれた、かわいそうな罪人のひとりに映りました(イザヤ53:2~4)。
しかし彼(イエス)の悲しみと病は、私たちの悲しみ、病を知るためであり、同時に、彼(イエス)がこの私に代わって負ってくださるためでした。彼が神に打たれ、苦しみを受けたのは、実は私のとがと不義のためであり、その打たれた傷と流された血によって、平安と平安といやしが私たちにもたらされたのでした。
罪なき神の御子キリストの十字架の苦しみと死は、全世界のずべての人(この私)を罪と永遠の滅びから救うための身代わりでした(イザヤ53:5~9)。聖霊によらなければ、誰も信じることができないほどのできないほどの真に信ずべき福音ぞ。
彼(イエス)は、十字架の死にいたるまで神の御前に従い通されました。その結果、彼は多くの人の罪を負い、とがあるすべての者へのとりなしとなられたのです。
ああ、信じられないほどの神の愛、この私のために十字架で苦しまれ、多くの人のためにとりなしておられる主イエスキリストをほめたたえます。伝えます。
