しかしお言葉ですから

2025年12月28日


(招詞) 詩篇103:1~5 主の祈り

(賛美) ほめたたえよ主の御名を ハレルヤ神の聖所で ハレルハレル 聖歌699

(説教)「しかしお言葉ですから」(ああ主の恵み、主に感謝)(下道 定身 牧師)

(聖書箇所) ルカ2:1~20


(聖書)

 先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし。お言葉ですから、網をおろしてみましょう。(ルカ5:5)

 今年2025年、当教会は「しかしお言葉ですから」(私のためのキリストからキリストのための私へ)のスローガンとルカ5:5の年間聖句を掲げて歩んできました。

 一日の労を終えて、小舟から降りて網を繕っていたガリラヤ湖の漁師たちに、主イエスは、沖へこぎ出し網をおろして漁をするようにと命じられます。ペテロは自分の状況と考えを主に伝えた上で「しかし、お言葉ですから」と主イエスの言葉に従いました。主のお言葉のとおりにしたところ、大漁を経験します。これが、主の弟子ペテロの献身の原点となりました。

 さて、2025年最後の主日礼拝会となりました。今年一年間を振り返り、「しかしお言葉ですから」と言って私の思いや主張、自らの自我を主に委ねて主のお言葉ですからと従ったのは、また反対に、主の語りかけを聞きつつも、霊的な悪魔の声や自分の肉の思いに固執したことは、いかばかりであったろうか。そんな者が今あるは、主の恵み以外の何ものでもない。「ああ驚くべきイエスの愛よ、罪を飲みさる大めぐみよ、いかなる者も立ち返らば、救い給う主の恵みよ。罪の深さ、広さ、はかりうるものなし。汚れに汚れし身も、恵みにて救われん。尊き御名をたたえよ」(聖歌699)、ああ主の恵み、ただただ主に感謝です。

 人生の最後に残るものとは、また今年一年の歩みを振り返って、最後に残るものとは一体何でしょうか。それは、何を成したかではなく、どのように生きたか、です。いかに受けたかではなく、いかに与えたかです。私のためのキリストから、キリストのための私へ、ここに人生の目的が。

 「いつでも存続するものは、信仰と希望と愛とこの3つである。このうちで最も大いなるものは愛である」(1コリント13:13)。「この希望は失望に終わることはない」(ローマ5:5)。ああ主の恵み、主に感謝。