神の言葉の到来
(招詞) 創世記1:1~5 主の祈り
(賛美) 輝け主の栄光 インマヌエル麗しい御名 私の望みは 讃美歌94
(説教)「神の言葉の到来」(下道 定身 牧師)
(聖書箇所) ヨハネ1:1~13
(聖書)
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとてこれによらないものはなかった。(ヨハネ1:1~3)
ヨハネ福音書は、イエスは誰かについて、書かれています。著者ヨハネは、冒頭で「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と書き記します。この言(ロゴス)とはキリストを表しています。そこで、「言」をキリストと読み替えるなら、意味がはっきりとします。「初めにキリストがおられた。キリストは神と共におられた。キリストは神であられた」。そして「言(キリスト)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」(1:1~14)となります。
「永遠の初めからおられる神、天地万物の創造主なる神、その神なるキリストが、みずから人となって、私たちのところに来られた」という史上最大の歴史的出来事、それが2000年前のクリスマスに起こりました。クリスマスの目的は、キリストを通して全世界のすべての人に永遠なる真の神を知らしめ、神の愛と救いをもたらすためでした。
言葉は重要です。夫婦、親子、家族。友人、社会での人間関係、信頼関係は大切です。相手を理解しようとする努力、自分を理解してもらう努力の土台は言葉です。相手を正しく知るために、自分を正しく知ってもらうために言葉が用いられます。言葉がなければ思いは伝わりません。同時に、人は言葉によって傷ついたり、逆になぐさめ、励まし、勇気を与えられます。「この言に命があった。そして、この命は人の光であった」(1:4)とあります。キリストは神の心を伝え、表し、昔も今も、それを聞くすべての人に命と光をもたらす神の言葉として、この世界に到来されました。
「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである」(1:18)(コロサイ1:15~17)。「わたしを見た者は、父を見たのである」(ヨハネ14:8~11)。キリストは神の言として、神を表し、神の心を伝えるため、罪と滅びから私を救い出すために誕生してくださいました。このキリスト誕生の前に、あなたはどのように向き合っているでしょうか。
