主の目が注がれていたので

2025年11月16日


(招詞)  イザヤ40:27~31 主の祈り

(賛美) 栄光から栄光へと わが神主よ 十字架の血潮で 聖歌498

(説教)「2マイルの信仰」(クリスチャンの生き方)(下道 定身 牧師)

(聖書箇所) マタイ5:38~48


(聖書)

 もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。(マタイ5:41)

 有名な詩と祈りを紹介します。


※クリスチャンの道(作者不明)

これは不思議なことだ。これは矛盾だ。

少し余分に行くことが魂を休め、二マイル行くことが命を新しくする。

けちな心が私たちを疲れさせ、必要以上の心配が私たちを滅ぼす。

祝され、健康で幸福なのは、求められた以上に気楽に行く人だ。

その余り分、器から溢れた分、求められずにした分、押し入れゆすり入れ、

溢れるような図り方

それこそ新鮮さと喜びを満たし、人生を春のごとく、さざ波のごとく

小鳥の歌のごとくするものだ。

実にこれこそ、クリスチャンの命の道なのだ。


※アッシジのフランシスコの祈り

主よ、わたしを平和の器とならせてください。

憎しみがあるところに愛を、争いのあるところに癒しを、

分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに希望を、

誤りのあるところに真理を、絶望があるところに希望を、

闇あるところに光を、悲しみがあるところに喜びを

ああ主よ、慰められるよりも慰める人としてください。

理解されるよりも理解する者に、愛される者よりも愛する者に。

それは、わたしたちが自ら与えることによって受け、

赦すことによって許され、自分のからだをささげて死ぬことによって

とこしえに命を得ることができるからです。

 主イエスが教えられた「右の頬を打つ者に、他の頬をも」、「下着を奪う者に、上着をも」、「一マイル強いられたなら、二マイルを」、敵を愛し、迫害する者のために祈ることは可能でしょうか。主イエスの弟子であるクリスチャンの生き方とは、キリストを仰ぎ、聖霊と共に歩み、生きることです。