ただ恵み、信仰、聖書のみ
(招詞) 歴代誌下32:24~32
(賛美) 父の神の真実は 神はわがやぐら 主はあなたを守る方 聖歌456
(説教)「ただ恵み、信仰、聖書のみ」(下道 定身 牧師)
(聖書)
ヒゼキヤのその他の行為およびその徳行(敬神。誠実)は、アモツの子イザヤの黙示とユダとイスラエルの列王の書に記されている。
ヒゼキヤはその先祖たちと共に眠ったので、・・・ユダの人々およびエルサレムの住民はみなその死にあたって彼に敬意を表した。(歴代誌下32:32~33)
当時のローマ教会は免罪符を発行してそれを購入することで人の罪が赦されると説き、聖書の教えから遠く離れてゆきました。そこで神は1517年10月31日、M・ルターを通して宗教改革を起こされました。宗教改革の中心は「ただ恵み、信仰のみ、みことばのみ」の聖書の教えに立ち返ることでした。これがプロテスタント教会の信仰です。
ヒゼキヤは25歳で南ユダ12代目王となり、BC716~687年の29年間エルサレムを治めました。当時のユダ(エルサレム)は、彼の父アハズ王の悪影響により神の恵みに背を向け、不信仰の罪を重ね、みことばに逆らい続けていました。そのような中で、ヒゼキヤが王位について最初に取り組んだことは神のみことばに立った宗教改革でした。
そお内容は、神に対する罪の悔い改め、人の心と神殿から偶像を徹底して取り除いて神への信仰と礼拝を回復することでした。彼は、ユダ全国のすべての民をエルサレムの神殿に招きました。賛美のための音楽隊を立て喜んで賛美し、真心から主に礼拝を捧げ、すべての奉仕と十分の一とすべての捧げものは感謝と賛美しながら捧げるようにと定めました。神の恵みと民の信仰、そして主のみことばが回復された時、そこには大いなる喜びが満ちあふれ、祈りは天に達しました。
そのような中、アッスリヤの王セナケリブがユダに攻めてきました。ヒゼキヤは勇気を出して「恐れるな、おののくな。心を強くし、勇み立ち、主が共におられて助け、主が代わって戦われるのだ」と民を励ましますが、敵の家来たちはエルサレムの民に忍び込み、ヒゼキヤの不信感をあおります。そこで、ヒゼキヤはイザヤと共に祈って天に呼ばわり、勝利します。
彼は晩年、主のいやしの奇跡体験の中で心に高ぶりますが、悔い改めます。そして、決して完ぺきではありませんでしたが、彼の生涯を徳行、敬神、誠実であったと聖書は記しています。あなたの生涯は?
