伝える人がいなくては

2025年10月05日


(招詞)  イザヤ41:10、13 使徒信条

(賛美) 叫べ全地よ Majesty 聖歌396  手をさしのべ(福音讃美歌472)

(説教)「伝える人がいなくては」(下道 定身 牧師)

(聖書) ローマ10:9~17

みことば

 しかし、信じたことのないものを、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことがない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。(ローマ10:14~15)

 今週のメッセージは単純、明瞭です。それは、主の御名を呼び求める者は救われる(ローマ10:13)とのメッセージ、罪のゆるしと人間の死に対する永遠の命という究極の救いの福音メッセージです。それは、主の名を呼び求めるすべての人にもたらされます。この福音はキリストの十字架と復活により、すべての人にもたらされました。

 「しかし、信じたことのないものを、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことがない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか」というメッセージは、どんなにすばらしい唯一無二の福音であっても、伝える人がいなければせっかくの福音も人々に届かず、人々は罪と死にしばられたまま死んでしまいます。すると、神の愛と主イエスの十字架の犠牲と復活のみわざがむだとなってしまいます。

 「ああ、うるわしいかな、良きおとずれを告げる者の足は(ローマ10:15)」、伝える人がいるなら、すべての人が信じるのではないが確実に信じて救われる者がいます。時にパンを水の上に投げるように思える時もあるが、そこには、主の選びの民が大勢いるとの約束があります。命がけで伝えてくれた人がいて、この私のところにも福音が届いたのです。

 「つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか(ローマ10:15)」、すべての人に必要で、すべての人が待ち望んでいる福音です。出て行って、すべてのこの福音を伝えることは、教会のもっとも重要な使命であり、私たちクリスチャンの使命です。種をまかなければ芽がでるおとはなく、実を結ぶ希望はありません。ある姉妹は90歳で天に召されました。彼女は、その日の朝も手紙で福音を伝えていました。まかれた種を成長させてくださる主にゆだねて。