苦難と信仰

2025年09月07日


(招詞)  Ⅰペテロ5:5~7:10 使徒信条

(賛美) 大いなる方に あなたは天地を超えて アドナイ  恵み 主よ感謝します

(説教)「苦難と信仰」(下道 定身 牧師)

(聖書) 1テサロニケ 1:1~12

みことば

 あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりひとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからである。そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けている迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇りとしている。(Ⅰテサロニケ 1:3~4)

 一人の例外もなく、人生には苦しみが伴います。誰の目にも明らかな苦しみ、また隠れた苦しみがあります。しかし、人は苦しみがあるからこそ神を求め、神に叫び求めるのだとも言えます。信仰とは、実に苦しみという土壌の中にこそ、真に芽生えさせるものであると言えます。単なる苦しみに終わらせず、そのどん底からなお、主に信頼して生きる秘訣を学びたいと思います。

 聖書に登場するに信仰者ヨブは、過酷な苦しみの試練に直面します。私たちの信仰は、苦しみや困難や災いにあわないためのお守りではありません。自分の限界を越えた崩壊寸前のきれいごとでは済まされない極限の苦しみを経験させることが、時として、あるいはしばしばあります。苦しみに遭遇して信仰から離れる人と必死に主の助けを求めて信仰に近づく人がいます。今週は苦しみと信仰についてのメッセージです。

 クリスチャンの人生、それは苦しみに出会わない人生ではなく、すべての苦しみには目的があります。私たちが遭遇する苦難にはどれ一つとして意味のない苦難や試練はありません。一切はやがて、必ずや、益と変えられていきます。それは、個人の忍耐と信仰の成長のため。互いの愛と助けと励ましと助けと祈りのため、主が証しされる福音宣教のためです。光は暗闇の中で輝きます。信仰は苦難の中でこそ、生き、光を放ちます。

 聖書には、苦難をとおして信仰が大いに成長し、互いの祝福となり、主を証しした多くの信仰の先輩たちが記されています。私たちはこのような多くの証人に、雲のように囲まれて信仰の馳せ場を耐え忍んで走っています。信仰の導き手であり、完成者なるイエスを仰ぎ見つつ走ろう。