新しい いましめ

2025年08月24日


(招詞)  マタイ5:43~48 主の祈り

(賛美) 満たせ宮を 主は御座におられる (聖歌466)イエスが愛したように

(説教)「新しい いましめ」(下道 定身 牧師)

(聖書) ヨハネによる福音書 13章34~35節

みことば

 わたしは新しいいましめをあなたがたに与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。(ヨハネ13:34~35)

 イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された(ヨハネ13:1)。そして主は自分は、神から出てきて、神に帰ろうとしていることを思い(ヨハネ13:3)、弟子たちに残す、いわば遺言のようないましめを与えられました。それは、新しいいましめでした。すでに旧約聖書の中に、自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛さなければならない(レ日19:18)とありましたが、主の新しいいましめは、わたし(主イエス)があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい、でした。人は皆、自己中心ですが、主イエスの本物の愛を体験した者こそが、本当の意味で神を愛し、自分を愛し、隣人を愛することができるのです。

 主は、ご自分の十字架の死を前に、弟子たちの足を洗われました。信仰は単なる教えではなく、主みずからが具体的な行動をもって弟子たちへの手本を示されました。主であり、また教師であるわたしがあなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互いにあしを洗い合うべきである。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように(ヨハネ13:1~20)と。

 続いて、主は弟子たちの弱さとご自身への裏切りの現実をすべて知ったうえで、それでも最後の最後までゆるしと悔い改めの機会を与え、徹底的に愛し通されました。主が私たちをゆるし、愛してくださったように、今度は、私が互いの間で主のゆるしと愛を実践することです(ヨハネ13:21~30)。

 主が私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛し合うならば、それによって、私たちが主の弟子であることをすべての人が認めるというのです。すべての人に好意を持たれ、救われる人が日々加えられていったあの初代教会からも大いに学びたい(ヨハネ13:31~38)。