(招詞) 1テサロニケ4:13~17 使徒信条
(賛美) 愛する天の父よ 聖歌258 今は恵みの時 麗しい天の国
(説教)「わたしの霊によって」(下道 定身 牧師)
(聖書) 1コリント15:50~58
みことば
死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか。(1コリント15:55)
多くの人にとって、老年期の関心事は老後の経済と健康です。しかし、最も重要な問題は、人生の最後(死)とその先(死後)どうなるかです。すべての人に定まっている確かなことは、人は死ぬこと、死は終わりでないこと、そして、その時は誰も知らないことです(へブル8:27)。本日は、死とその先にある確かな希望についてのメッセージです。
主を信じる以前、私の人生の終着点が死であるとしたなら。なんとむなしいことか、生きる意味がどこにあるのか、と悩んでいました。しかし、教えてくれる人はいませんでした。死に対する恐れというよりも、その後の世界がわからないことへの不安と恐怖でした。しかし、あるきっかけで教会に導かれ、聖書を通して死と死後の問題に対する真の解決が与えられ、私が生かされている意味を見出しました。
聖書は、神のひとり子なる主イエスキリストが人間となられたこと、そのお方が私の罪(神に背いて生きること)の身代わりとなって十字架で死なれたこと、死なれたイエスキリストは、死後三日目に復活されたこと、誰でも主イエスキリストの十字架と復活を信じる信仰によって、罪のゆるしと永遠の命があたえられることを教えています。
1コリント15章には、
①福音について、キリストの十字架と復活という歴史的出来事に基づいた、信じるすべての者にもたされる神からの恵みの救いです(1コリント15:1~11)。
②私たちの信仰、死人の復活、福音宣教の根拠について、それはキリストの復活の事実に基づいています(1コリント15:12~34)。
③死人の復活について、それは地上に属する肉のからだでまかれ、天に属する靈のからだによみがえるのです(1コリント15:35~49)。
④神の国の奥義について、それは主の再臨のラッパの響きと共に死人は朽ちない者によみがえらされ、死は完全に勝利にのみこまれ、一瞬にして、またたく間に変えられる時が到来するのです(1コリント15:50~68)。