(招詞) エペソ2:12~16 主の祈り
(賛美) 聖歌728 マジェスティ 聖歌357 権力によらず
(説教)「わたしの霊によって」(下道 定身 牧師)
(聖書) ゼカリヤ4:1~14
みことば
ゼルバベルに主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる。これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。(ゼカリヤ4:6)
イスラエルがバビロンに捕囚されたのも、70年を経てエルサレムに帰還できたのも神の御手によることでした。しかし、からだは帰還しても、霊的な拠り所であった神殿は破壊されたまま、帰還20年の歳月が経ていました。
そこで神は、同時代の二人の預言者ゼカリヤとハガイを通して、神殿の再建と神に立ち返ることをイスラエルに迫られました。
しかし、神の神殿再建の前には瓦礫(困難)の山が。自分たちの生活優先順位の山が、さらに敵対者の妨害の山が立ちはだかっていました。
行き詰まりと失意の中にあったゼルバレルに対して、主は金の燭台の幻を通して、この働きは人間の権勢によらず、能力によらず、わが靈によって問題と困難と絶望の大きな山は、必ず崩れさって平らになるとの信仰と希望と愛に満ちたメッセージを語られました。
わがアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が1949年の創立以来76年間にわたって掲げ、拠って立ち続けてきた聖句でもあります。また、今日も全国の諸教会とクリスチャン信仰の土台となっているみ言葉です。
主の教会の誕生と成長の存在は、また、新しい魂の救いとクリスチャンとして今あるは、ただただ主の霊による恵みの証です。
広島に長崎に原子爆弾が投下され、推定21万人もの尊い命と、またその後も被爆が原因で累計30万人余の命が失われました。戦後80年を経て、世界はますます愚かな滅亡の道をまっしぐらに突き進んでいます。
また、家庭内や隣人関係、日常生活の中で人をゆるし、愛すること、そして憎しみと争い、自分ファースト(自己中心)と肉の力からの解放は、御霊によって可能です。ここに希望があります。
神の霊によってとは、私は何もせずとの傍観者ではなく、聖霊を信じ、より頼み、助けと満たしとを求め、聖霊と共に立ち上がり、共に歩むことです。