(招詞) ヨハネ4:10~12 主の祈り
(賛美) 叫べ全地よ God bless you 主イエスの十字架の地で 聖歌521
(説教)「だれでもキリストのうちにあるなら」(子安 順司 牧師)
(聖書) Ⅱコリント5:16~17
みことば
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)
初代教会の伝道者パウロは、コリントの教会に宛てた手紙で「肉にしたがって人を知ろうとはしません」(Ⅱコリント5:16)と語ります。これは学歴や能力、社会的立場といった人間的な標準で人を判断することをやめたという意味です。かつてのパウロ自身は律法に従い、学問や地位において誇れるものを多く持っていましたが、イエスキリストとの出会いを通して、人の本当の価値は外面的なものではなく、神の愛の中にあると気づいたのです。
2016年の相模原障碍者施設殺傷事件は「何もできない人には生きる意味がない」という恐ろしい思想が生んだ悲劇でした。しかし、どんなに弱さを抱えていても、家族や親にとってはかけがえのない存在であり、神に愛された大切な命です。その人に何ができるかできないかに関係なく、親にとっては喜びそのものです。「君の存在がどれほど大きな喜びでしょう」という賛美のように、人は存在そのものに意味があります。
若くして人生に絶望し、線路に身を投じた田原米子さんは、キリストの愛に出会うことで「3本しかない指」が「3本もある」と感謝に変わり、新しい人生を歩み始めました。彼女は「生きるってすばらしい」と多くの人にキリストの愛を証しする生涯を送りました。パウロが「誰でもキリストにあるなら、新しく造られた者です」と語った通りの新しい人生が与えられたのです。 私たちの父なる神様は一羽のさえも覚えておられる方です。まして、私たち一人ひとりはどれほど尊い存在でしょうか。
私たちがどんなに弱くても「神様、助けてください」と祈る者に、神様はキリストにあって、誰でも、いつでも、新しい命と喜びを与えてくださるのです。