主の約束は一つとしてたがわず
2025年02月02日
(招詞)ヤコブ5:13~16 使徒信条
(賛美) 手をたたけ主に叫べ 永久にほめたたえます goodness of god 主にすがる我に(聖歌)
(説教)「主の約束は一つとしてたがわず」(下道定身牧師)
(聖書) ヨシュア21:43~45
みことば
主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つしてたがわず、みな実現した。(ヨシュア21:45)
人は一度交わした約束を忘れたり、微妙にぶれたり、不本意ながら破ってしまうことがあります。その結果、笑って済むことと深刻な結果をもたらすことがあります。聖書には絶対に裏切ることのない神の約束が満ちています。まだ見ていないその神の約束を信じること、従い続けるところに私たちの信仰があります。 かつて、信仰の父と仰がれたアブラハムに神は約束されました。「さあ、目をあげてあなたのいる所から、北、南、東、西を見渡しなさい。すべてあなたが見渡す地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます」(創世記13~14)と。しかし、この時アブラハムには子がなく、妻サライは子を生めない体であり、自分が所有する土地などは何もありませんでした。しかし、妻サライは恒例の90歳で奇跡的に子を生みます。とはいえ、アブラハムが生きて手にしたのは、イサクという名のたった一人の子と妻の墓として購入した墓地だけでした。やがてアブラハムのひ孫のヨセフの時代に、彼の子孫はエジプトに移り住み。後にエジプトの奴隷となります。400年の時間を経て、神はモーセをたて奇跡的に出エジプトを果たします。しかし、その後の40年間の荒野生活の後、エジプトから出てきた民は死んでしまいますが、残された若者たちにより、かつてアブラハムと結ばれた約束は。一つとしてたがわずみな実現したのでした。 聖書の中には個人に関する神の約束、イスラエルという民族に関する約束、そして最も重要な全人類に関する救いの約束が記されています。私たちがそれらの神の約束の実現を体験するためには、その約束を信じること。信じ続けること、信じて従うこと、従い続けることです。時には神の約束を待てども待てども何も見えず、また恐れ、あせり、不安、絶望、挫折をくり返し、それらとの壮絶な霊的戦いを経験します。しかし神の恵みにより、彼らの信仰によって「約束されたすべての良いことは、一つとしてたがわず、みな実現する」時が必ず到来するのです</div>