つぶやかないで信仰の目を
2025年01月26日
(招詞)1テサロニケ5:16~23 主の祈り
(賛美) 大いなる方に 強くあれ雄々しくあれ 聖歌707、聖歌537
(説教)「つぶやかないで信仰の目を」(下道定身牧師)
(聖書) ヨシュア17:14~18
みことば
もし、あなたが数の多い民ならば、林に上がっていって、そこで、ペリシテ人やレパイム人の地を自分で切り開くがよい。エフライムの山地が、あなたには狭いのだから(ヨシュア17:15)
1957年スタートのカトリック教会が提供する「心のともしび」よいう長期ラジオ番組があります。毎回、「心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸に響かない」に始まり、番組の終わりには「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」と読み上げて終了します。私はクリスチャンになりたての頃、ラジオから流れてくるこの言葉に心が捕えられ、深く刻まれました。
ヨセフの子孫エフライム族とマナセ族が自分たちへの相続地について、ヨセフに不平不満を訴えます。主が今まで祝福して下さったので私は数の多い民となりました。あなたはなぜ一つの相続地しかくださらないのか、これでは不十分だというのです。しかし、実は彼らが与えられた地は、カナンの中心地で最良の地でした。しかも最も広大な土地、それも自分で得た地ではなく神から与えられた地で、どれほど感謝しても感謝しきれないはずなのに、彼らの重いと口は不満を選びつぶやきます。かれらはクリスチャンである私とは無関係であろうか。
それに対して、ヨシュアは狭すぎるというのなら自分の足で森に上がって行き、自分の手でそこを切り開くがよい、そこは林ではあるが、そこを切り開くこと、また、鉄の戦車が待ち構え、強力なカナン人との戦いはあるが、あなたはそれを追い払うことができるというのです。彼らは自分がなすこべきことを考えず、ただ求めることのみ、与えられることのみを考えてつぶやいたのでした。
数が多いから狭いのではなく、数が多いから山地を切り開くことが可能であり、また強い戦車と戦うことは、神の力を信頼し体験する絶好のチャンスであるとの信仰の目を持つことです。つぶやかず、信仰の目をもって、いつも喜び、祈り、感謝をもって前進を。