貧しくもなく、富もせず

2021年06月27日

賛美

主の祈り・感謝と喜びを

主よ、私は飢え乾いて・大いなる方に

聖書 箴言30:5~9

説教 「貧しくもなく、富もせず」

下道 定身 牧師



みことば

「私は二つのことをあなたに求めます。うそ、偽りを私から遠ざけ、貧しくもなく、また富もでず、ただなくてはならぬ食物で私を養って下さい。飽き足りてあなたを知らないと言い、「主とはだれか」ということのないため、また貧しくて盗みをし、私の神の名を汚すことのないためです」。(箴言30:5~9)


箴言の記者は、生涯の願いとして二つのことを求めています。一つはむなしいことと偽りの言葉からの守りです。恐ろしい偽物がまことしやかに巧みに入り込み、混在し、識別することが困難な時代に生きる私たちの切実な祈りです。「あなたのみ言葉は、わが足のともしび、わが道の光です」(詩篇119:105、9~11)。二つ目は、貧しくもなく富もせず、ただなくてならぬ食物で私を、との願いです。今週は、この二つ目の「貧しくもなく、富もせず」に焦点を当てたメッセージです。

主は「日毎の糧」を祈り求めることを教えられました。同時に空の鳥、野の花を通して、主の愛と恵みはいつまでも十分にそそがれていることも約束されました。「貧しくしないでください」との祈りは、肉の弱さと貧しさゆえに、盗みの罪を犯し神の名を汚したり、人々のつまずきにならないためです。また、主のご用にもっと捧げ、仕えるために貧しくしないでくださいとの祈りでもあります。しかし神は、あえてこの世の貧しい者を選び、彼らを通して、神の栄光をこれまでも、そして、今も現されています。

同時に「また富もせず」と祈っている。それは、飽き足りて主から離れてしまう肉の弱さを警戒した祈りです。私たちにとって何より恐ろしいこと警戒すべきは、主から離れてしまうことです。富は人を錯覚させ、高慢にさせ、奴隷に変える力を持っていることを警戒すべきです。「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲張って金銭を求めたたため、信仰から迷い出て多くの苦痛をもって自分自身を刺し通した」(1テモテ6:10)とあります。しかし主からの賜物として正しく用いる時、それは大いなる祝福となり、神の栄光を表します。

主よ、貧しくもなく、また富もせず、ただなくてならぬ食物をもってわたしを養ってください。貧しき者を信仰によって豊かに富ませてくださる主に感謝します。