頑な心、柔らかな心

2022年10月30日

(招詞) 詩篇95:1~3、6~8 / 主の祈り

(賛美) 救いの岩 わが心、造り変えたまえ イエスは愛で満たす

     イエスよ、心に宿りて(賛美歌521)

(説教) 「頑な心、柔らかな心」

(聖書) 2サムエル24:1~25


(みことば)

 しかしダビデは民を数えた後、心に責められた。そこでダビデは主に言った、「わたしはこれをおこなって大きな罪を犯しました。しかし主よ、今どうぞしもべの罪を取り去ってください。」(2サムエル24:10)

 今週はサムエル記下、最後の章からのメッセージです。ダビデはここで再び大きな罪を犯して、神の怒りをかってしまいます。彼の罪とはイスラエルとユダとの人口を数えたことでした。そのこと自体は正しくても、隠れた動機が問題でした。神の栄光を盗んで自分を誇る高慢と、神でなく肉の力に頼る高慢と不信仰が潜んでいました。家臣ヨアブのせっかくの忠告も、高慢で頑なな心には届きませんでした。私たちが警戒すべき誘惑は高慢です。頑なな心です。(箴言16:18)


 しかしダビデは民を数えた後、心に責められた。そこでダビデは主に言った、「わたしは大きな罪を犯しました。非常に愚かなことをいたしました。主よ、今どうぞしもべの罪を取り去ってください」とひざまづきます。(:10)多くの失敗の原点は、高慢で頑なな心から始まります。そして、すべての回復の秘訣は、へりくだった柔らかな心から始まります。ダビデの悔い改めを通してイスラエル全体は滅亡から救われましたが、限定的ながら、三日間、7万人の死という犠牲をも忘れてはなりません。


 次に、ダビデはエブス人アラウナの打ち場で主に祭壇を築くように導かれます。アラウナは打ち場も燔祭の牛も無償で提供を申し出ますが、ダビデは代価を払って買い取り、そこで神への礼拝をささげます。その打ち場はかつてアブラハムがイサクをささげた場所であり、やがてソロモンがエルサレム神殿を建てる地、そして主イエスが十字架につかれるその地でありました。ここで主イエスは全人類の罪のために身代わりの燔祭の小羊となられ、救いの道を開かれました。ここでダビデは砕かれ、悔い改め、主への礼拝をささげ、信仰を新しくされます。ここで民への罪ゆえのさばきは終わりを告げるのです。