分け隔てをされない神
2021年07月04日

賛美
七日の歩み
大いなる方に
イエスが愛したように
神はひとり子を
聖書 ヤコブ2:1~13
説教 「分け隔てをされない神」
下道 定身 牧師
みことば
「私の兄弟たち、栄光に満ちた私たちの主イエスキリストを信じながら人を分け隔てしてはなりません。私たちの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで信仰に富ませ、ご自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐものとなさったではありませんか。」(ヤコブ2:1、5新共同訳)
ヤコブ1章には、「私たちの兄弟たちよ、あなたがたがいろいろな試練にあった場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい」(1:2)、また「低い身分の兄弟は、自分が高くされたことを喜びなさい。また富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである」(1:9、10)と教えられています。クリスチャンは試練を喜び、低い身分を喜び、自分が低くされたこともすべて喜びに変えられました。キリストにあっての喜びの生涯です。
今週は、クリスチャンは主イエスキリストを信じて喜びに与った者として「人を分け隔てをしてはいけない」とのメッセージです。人は、外見の見かけ(容姿や学歴、職業、社会的肩書、貧富、身なり、人種、能力、賜物、見栄え、業績、子ども等)で判断し、無意識のうちに一方を重んじ、他方を軽んじてしまいます。あなたの評価の基準は。
「キリストを信じながら」とは、「キリストが人々に、そしてこの私になされたことを信じ、体験した者でありながら、キリストの心を心としていない」の意味です。クリスチャンは、常に「イエスさまだったら、どうされただろうか」、「主が私を見てくださったように、主が私にしてくださったとおりに」を意識したいものです。キリストは、外面で判断することなく、私の見栄えもせず、無学な弱く小さな貧しき者、足りない者を分け隔てなく、否、あえてそんな者を選んでくださいました。そして、その恵みによって救われた者であることを思い起こしましょう。
まさしく、主のあの十字架の愛と苦しみは、聖い義人、健康な人、社会的身分の高い人、立派な着物を着た人のためではなく、みずぼらしい汚れきった罪人のためではなかったでしょうか。
主が愛しておられるその大切な人を、私も主の心で愛することができますように。