みことば
「わが名のために、わたしは怒りをおそくする。わが誉のために、わたしはこれをおさえて、あなたを断ち滅ぼすことをしない。見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた。」(イザヤ48:9、10)
東京オリンピックが始まりました。世界のアスリートたちに共通していることは。
神からの特別な愛と召しを受け、また自らも神の恵みを知識として信じ、公に信仰を告白してきたイスラエルでした。しかしその信仰は、謙虚さを欠き、強情で頑なな形式的外面的なものとなってしまいました。そんな彼らを一新させた出来事がありました。「苦しみの炉」でした。
「苦しみの炉」は誰もが避けたい望まれざる炉です。なぜ苦しみの炉が?何か意味があるのでしょうか。なんとその炉は偶然ではなく、実は「神からの愛の贈り物」と聖書は教えます。神はイスラエルを見放さず、今も愛する者を訓練し、形造られます。
「苦しみの炉」には必ず目的があります。私たちに痛みと苦しみをもたらすためではなく、不純物を取り除き、神の器として造り直す目的があります。苦しみの炉を通して信仰が正され、人間としても大きく練られ、成長するのはイスラエルだけではありません。
「苦しみの炉」には希望があります。主はその燃える炉の中に共にいて、私たちを守り、支え、導かれます。その炉を通して神は私たちの目を、さらに大きな、重要な希望に目を向けよう。
「苦しみの炉」から生まれるものは、この炉を通してでなければ得られない無数の深い霊的気づきがあります。神は必ず「苦しみの炉」を乗り越えさせ、炉を通して練り直し、造り変えてくださいます。ヨブのように、ダニエルの同僚の同僚のように、多くの信仰の先人たちのように。