私のなすべき事、神に任すべき事

2022年06月19日

招詞 箴言16章(抜粋)/ 使徒信条

わが主イエスよ

安けさは川のごとく(聖歌476)

主イエスよ献げます

主と主の言葉に(聖歌496)

サムエル記上26:13~25

説教 「私のなすべき事、神に任すべき事

下道 定身 牧師


みことば

「主が油を注がれた者に向かって、私が手をのべることを主は禁じられる。しかし今、そのまくらもとにあるやりと水のびんを取りなさい。そして我々は去ろう」(サムエル記上26:11)

一方的なサウル王のねたみによって、ダビデは執拗なまでに命をねらわれ、理不尽な逃亡生活を余儀なくされます。そんなある日、ダビデとその従者がエンゲデの洞窟に身を隠していたところに、なんとサウル王が用を足すために一人で入ってきました。従者たちはサウルを殺すために神が与えてくださった千載一隅のチャンス到来と受け止めました。しかし、ダビデはサウル王の上着のすそを切り取り、神が油注がれたサウル王に、自らの手を下すことをせずに神に任せました。彼は自分の感情、自分の都合、自分の損得に支配されず神のみ言葉に立ち、み言葉に委ねることを通して罪と悪魔の罠から守られました。

しかし、しばらくすると再びサウルは、ダビデ殺害のため3000人の兵を引き連れてジフの荒野に迫ります。絶体絶命の中ダビデは、サウルの陣営で眠っている王を彼の枕元の槍で殺す絶好のチャンスがありましたが、ここでも彼は主をおそれ、主の御心に委ねて罪と悪魔の罠に勝利します。

危機の中で自分がなすべき事と、神に任すべき事の領域があります。「すべてあなたの手のなしうることは、力をつくしてなせ」(伝道の書9:10)。私のなすべき事とは、①自分の判断でなく主に祈り、主に知っていただき、主の知恵と導きを求めることです。②殺害者サウルと戦うのでなく彼から逃げることです。③すぐに失望するのでなく、信仰と忍耐をもって結果を全面的に生ける神、主にお任せすることです。

「あなたのなすべき事を主にゆだねよ、そうすれば、あなたの計るところは必ず成る」(箴言16:3)。神に任すべき事とは、人間の知恵や力をはるかに超えた、自分ではどうすることもできない問題があります。赦せない憎しみ。愛せない傷を思い切って主に委ねてみませんか。主に任せること、これこそが私のなしうる最善、最高のなすべき決断です。