みことば
わたしは彼らがその罪を認めて、わが顔をたずね求めるまで、わたしのところに帰っていよう。彼らは悩みによって、私をたずね求めて言う。(ホセア5:15)
多くの預言者の中でも、とくに偉大とされる人物がホセアです。彼はそのすべてを神にゆだね、イスラエルへの神の愛を身をもって体現しました。神はとくに選民イスラエルが神から離れて霊的危機状況にある時に預言者を立て、神のことばを語らせて彼らを教え、戒め、矯正し、神に立ち返らせようと働かれました。このことは、昔も今も同じです(Ⅱテモテ3:16~17)。ホセアは、大預言者ではなく小預言者と呼ばれていますが、彼は単に言葉ではなく、言動の伴ったその生きざまを通して、神のメッセージを伝えました。 神は、預言者ホセアに淫行の妻ゴメルをめとり、その後もくりかえす淫行によって生まれた子らを受け入れよと語られます。ホセアは厳しい神のことばに従います。しかし夫ホセアの愛を裏切り続けて淫行を重ねる妻ゴメル、それでもなお妻ゴメルを愛し、彼女の罪をあがなうため高価な代価を払って、なんとか彼女を買い戻そうとするホセアがいます。 淫行の妻ゴメルはイスラエルすなわちこの私を、そして夫ホセアは主イエスキリストを指し示しています(霊的花婿イエスと花嫁なる教会)。 妻ゴメルは夫ホセアの愛の中にいながら淫行を重ねます。イスラエルは愛なる真の神から離れて偶像礼拝すなわち霊的淫行をくり返します。しかし、夫ホセアはそんな妻ゴメルを見捨てず愛し通します。主イエスは霊的姦淫のそんなイスラエルを見放さず愛し通されます。 お金が、名誉が、趣味が、快楽が、それとも誰かが、自分の都合が神に代わる霊的偶像礼拝となってはいないだろうか。 人の頑固な心はなかなか崩れません。そこで、神は悩みと行き詰まりを通して私の心の扉をたたき続け、私が自分から神に目を向け自分から神のもとに来るのをずっと待ち続けておられるというのです。苦難、それは私の帰りをひたすら待っておられる主の招きのサインです。さあ、悔い改めと信仰をもって主が待っておられるその所に行こう。