神の介入

2022年10月16日

(招詞) 哀歌3:19~23 / 主の祈り

(賛美) 驚くばかりの(聖歌229)ずっと愛されてた 七日の歩み

     主よ、ささぐる(聖歌296)

(説教) 「神の介入」

(聖書) 2サムエル17:1~14


(みことば)

 アブはサロムとイスラエルの人々はみな「アルキ人ホシャイの計りごとは、アヒトペルの計りごとよりも良い」と言った。それは主が、アブサロムに災いを下そうとして、アヒトペルの良い計りごとを破ることを定められたからである」。(2サムエル17:14)

 ダビデが巨人ゴリアテを倒したのも、これまでサウル王に何度も命を狙われ、そのつど、いつも守られたのも、かつての羊飼いからイスラエルの王となったのも、すべて偶然でなく、そこに神の計画と介入があったからでした。そして、今度は息子のアブサロムに命をねらわれ、絶対絶命の危機にあります。しかし、ダビデの知らない所で神ご自身がアブサロムのうちに介入され、危機一髪のところで守られます。神の時は早すぎることも遅すぎることもなく、いつでも完全です。あなたはこれまでの、そして今、あなたの前に立ちはだかっている問題に神の計画と介入と時があったこと、あることを信じますか。


 アヒトペルがダビデ殺害のために進言した奇襲作戦でなく、フシャイの代案が採択されました。その結果、ダビデの命が守られることとなりました。運よく、ではありません。神の御手がフシャイ、アブサロムとイスラエルの人々のうちに介入してくださった結果でした。


 預言者エレミヤは、「私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ」(哀歌3:22)と告白します。滅び失せ去って当然の者が今あるのは、ただただ主のあわれみであり、決して偶然ではなく、神の介入があったからではなかったでしょうか。


 ダビデ、エレミヤ、そして他のすべてのクリスチャン同様、これまでの私の人生にあった神のご計画と介入を思い起しましょう。主に感謝を。