主を待ち望み、主に賛美を

2021年08月29日

賛美

わが魂、主を讃えよ

尽きることのない

十字架で注がれた血潮

聖書 詩篇71:1~16

説教 「主を待ち望み、主に賛美を」

                   下道 定身 牧師



みことば

「しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切にあなたを賛美しましょう」(詩篇71:14 / 新改訳)


8月24日~9月5日、東京パラリンピックが開催されています。その競技に懸命に取り組む選手のひたむきな姿に、メダルを越えた感動で心が震えます。様々な障害ゆえの想像を絶する苦しみ、戦い、葛藤を思い、同時にどんな時にも常に彼らと共に涙し、喜び、歩み、支えられた方々のことを思わされました。

障害をもった人たちだけでなく、人は誰でも苦しみ、戦い、葛藤があります。同時に支えてくれる頼るべき存在を必要としています。神を信じる敬虔なクリスチャンであろうと、年若い者も老人であろうとも例外はありません。人には、①わからないこととわかっていることが、②失われたものと残っているものが、③できないこととできることがあります。わかっていることとは、残っているものとは、できることとは何でしょうか。

詩人は老年に達し、なお信仰の戦いの中にあったが、これまでの神の守りを根拠に、より頼むべき「わが岩、わが避け所」なる神に目を向け、神を待ち望み、神に賛美をささげています(71:1~8)。ここにも人生の秘訣があります。

もまだ75歳ですが、「私が年老いた時、私を見離さず、私が力衰えた時、私を見捨てず」(71:9)、「私が年老いて、白髪となるとも」71:18)、その使命を果たし終えるまで世にある限り、決して見捨てることのなさらない真実な神に、①目を向け、②待ち望み、③いよいよ主を賛美し続ける生涯でありたいと、切に願います。(71:14)

「私を母の胎から取り出されたかたは神です」(71:6)。私たちはたまたま生まれたのではなく、それぞれが神の目的をもって誕生しました。一人の例外もなく。だから、私たちは私たちを世に生み出してくださった神を生涯にわたって信頼し、待ち望み、賛美し続けるのです。人生の最後に残るものは何でしょうか。神の愛を信じる信仰、希望、愛です。