みことば
主よ、あなたに帰らせてください。われわれは帰ります。われわれの日を新たにして、いにしえの日のようにしてください。(哀歌5:21)
旅行が楽しいのは帰る家があるからです。どんな美しい景色も、楽しみと感動もぜいたくでおいしい食事も、家での食事、安心、生活には遠く及びません。家に帰ると、やっぱり家が一番だと実感させられます。
また人生のさまざまな嵐に疲れた時、帰ることのできる実家が必要です。私たちの心が疲れ、弱り果てた時に、帰ることのできるたましいの憩いの場、心の実家とはどこでしょうか。それはどこにあるのでしょうか。
神のかたちに創造された人間(創世記1:27)は創造主なる神の元こそが、すべての人のたましいの真の実家、帰るべき家なのです。それゆえ、私たちの真のたましいの平安といやしと回復は、造り主にして霊的父なる神の元にあります。私の霊的な真の居場所は、父なる神の元です。そして、父なる神は本来のおるべきところから、遠く離れてしまった放蕩息子、娘たちを片時も忘れないで、その帰りを祈りと忍耐をもってずっと待ち続けておられます。私たちはあるがままの姿で帰れば良いのです。
旧・新約聖書の一貫した神のメッセージは、帰れ主の元へ、です。そのために神は、ひとり子イエス・キリストをこの世に遣わし、人の姿に誕生させ、全世界の罪のあがないのために十字架につけられました。それは、御子を信じる者に罪のゆるしと真の神の元に帰る道を開くためでした。
「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私に寄らないでは、父の元に行くことはできない」(ヨハネ14:6)。
帰れ、主の元へ、それは、自分が今どこにいるのかを知ることが重要です。たとい、身体は父の家にいても、その心が父から遠く離れていることがあります。クリスチャンであっても、自分の気づかないうちにいつの間にか心が主から離れてしまっていることがあります。今日、あなたの心はどこにありますか。疲れては、渇いてはいませんか。帰るべき主の元へ帰りませんか。
「あなたはどこにいるのか」(創世記3:9)