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苦難と共にある神の召し
2023年08月06日
(招詞) ヘブル4:15~16 使徒信条
(賛美) エスの血で 来たれ誰も(聖歌434) イエスのように
静かに待て、わが魂よ(聖歌309)
(説教) 「苦難と共にある神の召し」
(聖書) エレミヤ15:10~21
みことば
「ああ、わたしはわざわいだ。わが母よ、あなたはなぜ、わたしを生んだのか」(エレミヤ15:10)
「どうしてわたしの痛みは止まらず、傷は重くて、治らないのですか」(エレミヤ15:18)
エレミヤ14章では、エルサレムの罪に対する裁きの預言を委ねられたエレミヤは、そのあまりにも厳しい裁きに苦悩します。「この民のために恵みを祈ってはならない」(エレミヤ15:11)と主から言われますが、それでも彼は夜も昼も涙をもって(エレミヤ15:17)、自分の罪、悪、咎を主に告白して赦しを求めて(エレミヤ15:20~22)、とりなし祈ります。しかし主は、「たといモーセやエルサレムが祈ったとしても、この祈りは聞けないのだ。南ユダの民が主を捨てたからだ」(エレミヤ5:1、6)と言われます。
今週のエレミヤ15:10~21では、エレミヤの苦悩と嘆きと神に対する率直な訴えと神の約束と召しの確認が記されています。
預言者エレミヤは主が命じられたとおりに従った結果、国中のすべての人々に憎まれ、攻められます。彼らの幸福を祈り、彼らが悩み苦しみの時にとりなし祈ってきたにもかかわらず、なんと不条理な現実でしょうか。
そこで、エレミヤは悶々としたやりきれない怒り、苦闘、荒れ狂った思いをそのまま飾らずに本音で神に訴え、神に聞いてもらいます。「主よ、あなたは知っておられます。どうか私を覚えてください」(エレミヤ15:15)と。また、「どうして私の痛みは止まらず、傷は重くて治らないのですか」(エレミヤ15:18)と。クリスチャンの恵み、安心は私が最も苦しい時、そのありのままを受け止め、私のすべてを知っていてくださる神がおられることです。また苦難のただ中で、食するみ言葉は喜びと心の楽しみをもたらします。
エレミヤ15:19~21は、エレミヤの訴えをしっかり聞かれた神からの答えです。祈りは神に聞いていただくことと、神の語りかけを聞くことが大切です。「もしあなたが帰ってくるならば、もとのようにしてわたしの前にたたせよう」(エレミヤ15:19)と、また「わたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする」(エレミヤ15:20)、「わたしがあなたと共にいて、あなたを助けあなたを救う」(エレミヤ15:20)、「わたしはあなたを悪人の手から救い」(エレミヤ15:21)と。主がしてくださるのです。
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