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人の傲慢、高慢
2023年07月09日
(招詞) マタイ11:28~30 主の祈り
(賛美) 7日の歩み、ここに 麗しい主イエスの 罪と恥にまみれた心 この身を清くし(聖歌543)
(説教) 「人の傲慢、高慢」
(聖書) エレミヤ2:20~28
みことば
彼らは背をわたしに向けて、その顔をわたしに向けない。しかし、彼らが災いにあう時は、「立って、われわれを救いたまえ」と言う。(エレミヤ2:27)
イスラエルは、かつて神に対して、誠実、愛、従順の時もあったが(エレミヤ2:2、3)、いつのまにか「むなしいものに従って行って、むなしいものとなった」(エレミヤ2:5)。彼らは「生ける水の源である神を捨てて、壊れた水溜を自分で掘った」(エレミヤ2:13)。彼らが主を捨てた結果、神への恐れが失せ、ついには、彼らの悪事が彼らを苦しめ、彼らの背信が彼らを責めることとなります。主を捨てることが、いかに悪しく、かつ、苦々しいことかを(エレミヤ2:17、19)人はどれほど知っているだろうか。
イスラエルは「自分のくびきを折り、自分のなわめを断ち切った」(エレミヤ2:20)。主イエスは「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしの所に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしのくびきを負うならば、あなたの魂に休みが与えられます」(マタイ28:11)と約束されました。私の重荷を主が用意されたくびきで、負ってくださるというのです。しかし、イスラエルは自ら神からのくびきを折り、関係のきずなを断ち切ったのです。その結果、霊的にも現実的にも、淫行と欲情の罪の奴隷となり、神が計画された本来のあの美しさとまったく別人(野ぶどう(エレミヤ2:21))となってしまいました。今のあなたの姿は本来のあなたの姿でしょうか。それとも?どこから?
「たとえ灰汁でからだを洗い、多くの石灰を使っても、わたしの目には、罪があなたに染みついていると、主なる神は言われる」(エレミヤ2:22)。
食器や衣類は、よい洗剤で汚れが落ちてピッカピカになったとしても、人の悪の汚れは、どれほど多くの灰汁を使っても、どんな洗剤でも、たとえアリエールであってもあり得ません。罪の染みは、主イエスの十字架の血による以外に赦しと解放はありません(使徒4:12)。御子イエスの血は、すべての罪からどんな汚れからも私たちをきよめてくださいます(1ヨハネ1:7~2:2)。
彼らは、いつもは背を向けているが、災いの時だけ神を求める(エレミヤ2:27)、なんと身勝手な自己中心なことが、なんと傲慢な、高慢なことだろうか。神に背を向け続ける生涯と、神に目を向けて生きる、のどちらを求めますか?
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