みことば
しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。(1テモテ6:6~8)
今週は1テモテ6:6~10から「満ち足りる心」のタイトルの説教です。
すべての人は心の平安を求め、喜びを求め、愛を求めています。しかし、現実は平安ではなく、何か満たされない不安と不満と恐れが、喜びではなく何か満たされない虚しさと悲しみと憂いが、愛ではなく何か満たされないさびしさを抱えて生きています。求める満たしはどこに。今週は、みことばから高慢病の恐ろしさ、その原因と治療法について、むさぼり症候群の症状とその対処法について、お金依存症の虚しさとその解放について、教えられ実践しましょう。
聖書は、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である、ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである、と教えます。「少しの物を所有して主を恐れるのは、多くの宝をもって苦労するのにまさる。野菜を食べて互いに愛するのは、肥えた牛を食べて互いに憎むのにまさる」(箴言15:16~17)。物質に富み、何不自由なく暮らしていても、心に満ち足りた平安、喜び、愛、罪悪感がなければ、その人生はむなしい。しかし、物質は十分ではなくても、心が満ち足りているならば、幸せであり最高に富める人生です。
「わたしたちは何ひとつ持たないでこの世にきた。また何ひとつ持たないでこの世を去ってゆく。ただ食があれば、それで足れりとすべきです」(1テモテ6:7)。私は、これまで何人もの葬儀に立ち合い、そのつどどんなにこの地上に宝を蓄えても、最後は何も持って行けないことをつくづく教えられます。
そして、人の欲望と金銭を愛することの虚しさとその誘惑と罠について教えます。「金銭を好む者は、金銭をもって満足しない。飽き足りるほどの富は、彼に眠ることをゆるされない」(箴言5:10、15:16)。それゆえ、箴言30:7~9とマタイ6:33のみことばを深くかみしめよう。