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敵を愛し、迫害する者のために祈り
2023年01月29日
(招詞) ローマ5:6~10 主の祈り
(賛美) 御名をほめたたえる 御手の中で 土の器 キリストの心が
(説教) 「敵を愛し、迫害する者のために祈り」
(聖書) マタイ5:38~48
(みことば)
「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、何の報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか」(マタイ5:44、46)
人として最もしあわせなこと、最もうるわしいことは何でしょうか。互いにゆるし合い、愛し合うことです。同時に、最もむずかしいことは何でしょうか。それも、また互いにゆるし合い、愛し合うことです。人の歴史がその証明です。いつの時代も戦争の歴史でした。人は人に、民は民に、国は国に、家庭内での愛の崩壊は、今日最も身近で悲惨かつ深刻な問題です。
隣人をさえ愛することがむずかしい私たちに「敵を愛せよ」、大切な人のためにさえ、とりなし祈りを忘れてしまう私たちに、「迫害する者のために祈れ」、倍返しの復讐に燃え狂う私たちに、「右の頬を打つ者には左の頬も向けよ」、理不尽になけなしの最後に残った「下着を取ろうとする者には上着も与えよ」、無理やり、一方的かつ強制的に「一マイル行かせる者には二マイル行け」と主は言われます。主は正気、また本気で言われたのでしょうか。もちろんです。
では、そんなことが現実に可能でしょうか。絶対に無理です。不可能です。あり得ないことです。もしもそんなことが私にできるのなら、信仰も、聖霊の助けと力も、祈りも必要がないでしょう。そうです。だから、私には信仰が、聖霊の助けと力が、祈りが必要なのです。そこに人の常識と力の限界を超えた愛の奇跡の可能性が生まれるのです。
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と教えられた主イエスご自身が、十字架の上でご自身を裏切り、あざけり、苦しめ、敵対する世(私たち)を愛し、とりなし、祈られました。人の常識では絶対にあり得ないゆるしと愛を、主イエスは自らの十字架を通して現実に実践されたのでした。自分を愛してくれる人を愛するには、信仰と祈りは不要です。しかし敵を愛し、迫害する者のために祈ることは、クリスチャンには可能です。
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