ソドムのためのとりなし

2020年08月09日

賛美

主の祈り
主に向かって
我が民が
平和をば(聖歌357)

聖書  創世記18:16〜33
説教 「ソドムのためのとりなし」
下道 定身 牧師



みことば

アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。私は今一度申し上げます。もしそこに十人いたら」。主は言われた「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。(創世記18:32)


緒論

昔、ある宣教師が「この町で神にとって最も大切な宝物、大切な人は誰でしょうか?」と質問された。私はとっさに市長の顔を思い浮かべた。宣教師の答えは「それはあなたです。この教会とその兄姉たちです」であった。

本論

1.三人の旅人の来訪(創世記18:1~15)

主は普通の日常生活の中に、普通の旅人の姿で現れてくださった

訪問の目的は、①サラが来年、約束の子を生むことを知らせるためであった

今日も主の約束は変わっていない。初めて具体的な時期について明言された

2.ソドムとゴモラの罪と神のさばきの知らせ(創世記18:16~21)

訪問の目的は、②ソドムとゴモラのさばきをあらかじめ知らせるためであった

主はみこころをあらかじめそのしもべに示される(創世記18:17、アモス3:7)

今日も主は罪の世を滅亡から救い、すべての民を祝福するために語られている

3.ソドムのためのアブラハムのとりなし(創世記18:22~33)

訪問の目的は、③アブラハムのとりなしを通してソドムを救うためであった

無関心ではない愛と情熱、謙遜と主へのとりなしの姿勢を学ぼう

今日も主は、罪の世の救いのためにとりなし祈る者を求めておられる

結論

十人の正しい人、つまり神に従う人がいればその町全体の、他のすべての罪人たちの救いに結びつくとはなんと恐れ多いことか、ひとりのクリスチャンとして立てられている存在のなんと大きな意味、使命、責任であろうか。