強くあれ、雄々しくあれ

2025年01月05日


(招詞)詩篇1:1~6 使徒信条

(賛美) 主に向かって わが魂、主をたたえよ わが魂の羊飼い 雄々しくあれ                        

(説教)「強くあれ、雄々しくあれ」(下道定身牧師)

(聖書) マタイ2:1~12


みことば

 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。(ヨシュア1:9)

 イスラエルの民をエジプトの奴隷から解放し、40年間にわたって荒野で彼らを導いてきた偉大な預言者モーセは、約束の地を目前に死にます(享年120歳)。イスラエルは悲しみますが、神は次のステージを用意され、そのために新しいリーダーを立て、神の約束を実現に導かれます。民が頼ってきたモーセは死にます。しかしモーセを立てられた神は生きておられます。神の約束もまた生きていて次の代に引き継がれます。

 神はモーセに代わる新しいリーダーとして彼の従者ヨシュアを召され、明確な使命とその使命達成のための明確な約束を与えられます。その使命とは、イスラエルの民と共に目の前のヨルダン川を渡ること、彼らを約束の地カナンに導き入れること、約束の地を戦い取ること、イスラエルの民をそこに導き入れることでした。

 しかし、40年間大指導者モーセに仕え、彼の悲しみ、苦しみ、葛藤をつぶさに見てきたヨシュアは、自分には無理、絶対にできないと確信し、恐れるとともに、また、その使命の大きさに圧倒され、自分の限界と不安に支配されました。

 そんなヨシュアに対する使命達成の明確な神からの約束とは、ヨシュアの意思や能力やがんばりによるものではなく、神が彼を召し、神が彼を通してイスラエルに与えるものであり、神はモーセといたように彼といて、絶対に見放すことも、見捨てることもない、という約束でした。

 ヨシュアのなすべきことは、主にあって「強く、また雄々しくあること、何があっても恐れてはならない、おののいてはならない」(ヨシュア1:6~9)でした。私たちもまた、主の召しと主の約束、主の励まし、主のみ言葉を聞いているだけではなく、本気で信じて立ち上がり、まず従ってみましょう。

「お言葉ですが、私には無理です」から、「お言葉ですから」と自我を空にして、私のためのキリストから、キリストのための私へ踏み出しましょう。