みことば
わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。(ヨシュア1:9)
イスラエルの民をエジプトの奴隷から解放し、40年間にわたって荒野で彼らを導いてきた偉大な預言者モーセは、約束の地を目前に死にます(享年120歳)。イスラエルは悲しみますが、神は次のステージを用意され、そのために新しいリーダーを立て、神の約束を実現に導かれます。民が頼ってきたモーセは死にます。しかしモーセを立てられた神は生きておられます。神の約束もまた生きていて次の代に引き継がれます。
神はモーセに代わる新しいリーダーとして彼の従者ヨシュアを召され、明確な使命とその使命達成のための明確な約束を与えられます。その使命とは、イスラエルの民と共に目の前のヨルダン川を渡ること、彼らを約束の地カナンに導き入れること、約束の地を戦い取ること、イスラエルの民をそこに導き入れることでした。
しかし、40年間大指導者モーセに仕え、彼の悲しみ、苦しみ、葛藤をつぶさに見てきたヨシュアは、自分には無理、絶対にできないと確信し、恐れるとともに、また、その使命の大きさに圧倒され、自分の限界と不安に支配されました。
そんなヨシュアに対する使命達成の明確な神からの約束とは、ヨシュアの意思や能力やがんばりによるものではなく、神が彼を召し、神が彼を通してイスラエルに与えるものであり、神はモーセといたように彼といて、絶対に見放すことも、見捨てることもない、という約束でした。
ヨシュアのなすべきことは、主にあって「強く、また雄々しくあること、何があっても恐れてはならない、おののいてはならない」(ヨシュア1:6~9)でした。私たちもまた、主の召しと主の約束、主の励まし、主のみ言葉を聞いているだけではなく、本気で信じて立ち上がり、まず従ってみましょう。
「お言葉ですが、私には無理です」から、「お言葉ですから」と自我を空にして、私のためのキリストから、キリストのための私へ踏み出しましょう。