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ケリテ川のほとりにて
2023年10月15日
(招詞) マタイ6:33、34 主の祈り
(賛美) 感謝しつつ主の門に 権力によらず 主の愛知るたび 主よ感謝します
(説教) 「ケリテ川のほとりにて」
(聖書) 列王紀上17:1~7
みことば
「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。そしてその川の水を飲みなさい。わたしはカラスに命じて、そこであなたを養わせよう。」(列王紀上17:3~4)
列王紀上14~16章には、二分された南ユダと北イスラエルの歴代の王たちについて記されています。唯一ユダの王アサを除いた他のすべての王たちは、皆ダビデのように歩まず、彼らの父が犯した不信仰と罪の道を歩み、国に罪を犯させ、主の怒りを引き起こします。しかも王たちは、次第にそれ以前の王の誰よりも主の目に罪と悪を更新し、極まります。(列王紀上16:25~30)
当時の南ユダの王アハブは、妻イゼベルの影響もあってバアル礼拝を民に強要し、神の預言者を迫害する最悪の王でした。そのような背景の中、神は預言者エリヤをそのアハブのもとに遣わします。
エリヤとは「主は神である」の意味です。テシベの田舎出身の一預言者が恐ろしい権力者アハブ王の前に立って、「私の仕えるイスラエルの神、主は生きておられる。私の言葉のないうちは、数年雨も霧もない」(列王紀上17:1~2)と、死を覚悟しつつも聖霊の力によって神のメッセージを伝えます。
「主は生きておられる」とは、アハブ王だけでなく自分への宣言でした。
預言者エリヤが先が見えずとも勇気をもって従順の一歩を踏み出した時、主の言葉がエリヤに臨みました。「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川に身を隠しなさい。そして、その川の水を飲みなさい。私はカラスに命じて、そこであなたを養わせよう(列王紀上17:3~4)と。そのとおりになった。しかし、そこはエリヤの安住の地ではなかった。しばらくしてその川は枯れた。
今週の御言葉の私への個人的な運用は何でしょうか。「私の神、主は生きています」と他人に語ったように、自分自身に向かって語り、そのように実践し、自ら体験させていただきましょう。神の御声を聞きつつも、小さき者が自分の前に立ちはだかる壁の大きさに圧倒され、萎縮していませんか。ご聖霊の力を助けを求めましょう。また、先が見えず、恐れと不安で立ちすくんでいませんか。備えたもう神を信じて、ご聖霊と共に今できる一歩を踏み出してみませんか。
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