黙って聴くこと

2023年11月26日

(招詞) 出エジプト20:8~11 主の祈り

(賛美)   手を叩け、主に叫べ 大いなる方に 恐れるな    ああ驚くべき(聖歌699)                                                   

(説教) 「黙って聴くこと」

(聖書)  ヨブ21:1~16

みことば

 ヨブは答えた。「どうかわたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ。我慢して、わたしに話をさせてくれ。わかしが話してからあざ笑うがいい。」(ヨブ21:1、2新改訳)

 ヨブと彼の友人たちの会話は、互いに正当化した自分の主張を熱くぶつけ合い、議論をするが、何かかみ合わず、次第に互いをさばき合い、互いの間に深刻なまでの溝が深まっていきます。

私たちの日常生活、また人間関係においても、互いにどちらの言い分にも理があります。しかし、その意見の決めつけが大切な人との関係を崩し、誤解や憎しみ、断絶の溝を生み出しています。自分の考えと主張をちょっと黙して、相手の主張に耳を傾けてみては。

 ヨブはゾバルに答えます。「どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ。我慢して、わたしに話をさせてくれ。わたしが話してからあざ笑うがいい」と。助言や回答や指示ではなく、じっと我慢して話を聞いてほしいのです。人は苦しい時、つらい時に黙って聞いてくれる人が必要です。さばかないで黙ってありのままの思いを受け止め、聞いてくれる人がいる時、人はなぐさめと平安を受けて前に進むことができます。

 私たちの悩み、苦しみの時、最高の聞き手は主です。私たちが祈る時、主は忍耐して、しっかり聞いてくださいます。

 ヨブは、友人たちが主張する因果応報論の根拠に対する反論を展開します。現実の世界は、矛盾、不条理に満ちています。「何ゆえに悪しき人が生きながらえ、老齢に達し、かつ、力強くなるのか。その子らは彼らの前に堅く立ち、その子孫もその目の前に堅く立つ。その家は安らかで、恐れがなく~」(ヨブ21:7~9)、繁栄を享受し、歌い、楽しみ、さいわいに過ごし、安らかに陰府にくだっているではないか。神に背を向け、反逆する者が栄えるのはなぜか(ヨブ21:10~16)と訴えます。

 因果応報ならば、神の前に義とされ、救われる人は一人もいません。御子イエスにより、恵みにより、信仰によってのみ、人は救われるのです。