みことば
このように、エヒウはイスラエルのうちからバアルを一掃した。しかしエヒウはイスラエルに罪を犯させたネビテの子ヤラベアムの罪、すなわちベテルとダンにある金の子牛に仕えることをやめなかった。(列王下10:28~29)
イスラエルにバアルの偶像礼拝を持ち込み、多くの預言者を迫害し、殺害したアハブ王とその妻イゼベル、そしてその影響を一掃するために、神はエヒウをイスラエルの王としてたてられました(列王下9:6)。彼はその使命に熱心に取り組み、バアル礼拝とそれに関係する者たちをイスラエルからことごとく完璧なまでに排除しました。
しかし彼は、イスラエルに罪を犯させたヤラベアムの罪、ベテルとダンにある金の子牛に仕えることはやめなかった、とあります。エヒウは自らを偽ってまでも、全国からすべてのバアルの信奉者を集め、ひとり残さずに殺害しました。しかし一方で、自らは金の子牛崇拝の偶像礼拝をやめませんでした。私たちはエヒウの中に人間の弱さ、私の姿を見せられます。主に対する私の信仰と従順の不徹底さ、中途半端の姿を示されます。しかし、主はそんなエヒウに語られます。「あなたはわたしの目にかなうことをよく行った」(列王下10:30)と。主はエヒウ(私)の両面を見てくださり、お声をかけてくださいます。
ホセア書7:8に「エフライムは半焼けのパン菓子」、「裏返さずに焼かれた菓子」とあるが、片面は焼けているが、もう片面は半生というのです。なんともったいないことでしょうか。せっかくのパンは、両面焼かれることです。
何をやっても中途半端な性格、生き方、信仰からの脱却の唯一の方法があります。それは自分の能力でも、がんばりでも、努力でもなく、小さな一歩を決意し踏み出すことです。それは聖霊に信頼し、聖霊の力と助けを求めることです。
「ただ聖霊があまたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。