神の時を

2022年01月23日

賛美

神の小羊イエスに

イエスよ、あなたに飢え渇いて

人生の中で

主よささぐる(聖歌296)

聖書 ヨハネ7:1~13

説教 「神の時を」

下道 定身 牧師



みことば

「そこでイエスは彼らに言われた「わたしの時はまだきていない。わたしはこの祭には行かない。わたしの時はまだ満ちていないから。」(ヨハネ7:6、8)


前章の過越の祭(6:4)から半年の時を経て、仮庵の祭(7:2)が近づいていました。この間、主はガリラヤ地方を巡回しつつ、ユダヤ行きの機会(神の時)の到来を信じ、待ち望んでいました。

主は兄弟たちの誘惑やご自分の願望と判断によらず、父の御旨と時を意識し待ち望み、優先されました。

仮庵の祭は、刈り入れの収穫感謝であり、何よりもかつて先祖たちが荒野のテント生活で、神の天幕を通して雲の柱、火の柱に導かれた感謝の祭です。

彼らは神の臨在の雲が動く時に動き、留まる時に留まりました。彼らは神の時を信じ、神の時を待ち望み、神の時に導かれて約束の地カナンに入りました。

聖書は、天の下のすべてのことには神の時が備えられていると教えています。一つの例外もなくとの意味です。生まれたのも偶然ではなく神の時、死ぬのもまた神の定められた時であるというのです。泣く時も神の御手の中にあり、同時に喜びの時も神は備えられておられます。悲しみの時も、失望せずに神が備えられておられる踊りの時を慌てずに忍耐を信じ、待ち望みなさいと教えます。

今、試練のただ中で戦っておられる兄姉たち、「時が来れば神はあなたがたを高くしてくださるであろう。神はあなたがたを顧みていてくださるのであるから、自分の思い煩いをいっさい神にゆだねるがよい。」(1ペテロ5:6~7)

はいかなる時にも、私たちと共にいてすべてを知ってくださり、万事を益に変えてくださいます。「神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。それだけでなく。患難をも喜んでいる。なぜなら患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っているからである。」(ローマ5:3~4)

神の時と私の時は異なります。そして、いつでも神の時は私の最善の時です。