十人のおとめのお話

2021年01月24日

賛美

たたえよ、栄光の神の

いつ主は来たり給えや(聖歌728)

わがともしびのために

さめよ、日は近し(聖歌184)

聖書 マタイ25:1~13

説教 十人のおとめのお話

下道 定身 牧師



みことば

その中の5人は思慮が浅く、5人は思慮深い者であった。思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油は用意していなかった。しかし思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。(マタイ25:3、4)


緒論

「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信ぜよ」と宣言された主は神の国をこの地にもたらされ、さらに天国の婚宴に私たちを迎えるため再臨してくださる。その日を迎える備えの祝福と厳粛な警告に耳を傾けよう

本論

1.花嫁を迎えに来られる花婿のたとえは、何を私たちに教えているのか?

・祝福の約束~花嫁なる教会を迎えに来られる花婿なる再臨のキリスト

・厳粛な警告~その時は誰にもわからない。しかし必ず到来する。

2.5人の思慮深いおとめと5人の思慮の浅いおとめは、何を私たちに?

・共通点はあかりを灯して花婿を待ったが、途中で眠ってしまったこと。

・相違点はあかりを持っていたが、油の有無が明暗を分けたこと。

.花婿を待つ10人のおとめのたとえは、何を私たちに?

・信仰のあかりは消えかかっていないか?信仰のあかりの油とは何か。

・今、主の再臨に備えよ。

結論

キリストは、花嫁なる教会を天国での婚宴に招くために、まもなく再臨される。「だから目をさましていなさい。その日その時があなたがたにはわからないからである。」(25:13)今こそ、信仰の油(聖霊)を求める時である。