私の魂にして下さったことを

賛美
救いの岩
生ける限り主を
真実なわが父よ
望みも消え行くまでに(聖歌604)
聖書 詩篇66:10~20
説教 「私の魂にして下さったことを」
下道 定身 牧師
みことば
「すべて神を恐れる者よ、来て、聞け。神がわたしのためになされたことを告げよう。私は声をあげて神に呼ばわり、わが舌をもって神をあがめた。」(詩篇66:16、17)
詩篇66篇は、かつてアッスリア軍は攻め寄せてエルサレムを包囲した時、当時のユダの王ヒゼキヤは、ひたすら神に依り頼み、その結果、陥落寸前のエルサレムは「神の大いなる御力によって、敵は御前に屈服し」(66:3)、救われました。その出来事を思い起こして歌った賛美の歌です。
今週のメッセージは、詩篇66:16の聖句から「神が私の魂になされたこと」を①自分の内に思い起こし、②神に感謝の賛美と栄光と礼拝をささげ、③人々に証を通して語り伝えることです。
まず、これまでの神が私のためにしてくださったことを思い起こすことです。イスラエルは神の恵みによって選ばれ、召され、海と川と荒野での奇跡を、また、火の中、水の中、諸々の敵のの手により救われたことは、当たり前ではなく特別なことでした。私のために神がこれまでにしてくださった特別なことを、じっくり思い起こして数えてみましょう。(詩103:1~5、8~13)
次に私のなすべきことは、神が私の魂になされた恵みのゆえに、今度は、私が神に栄光と賛美と礼拝をささげることです。神が私の魂にしてくださったことの大きさを知ったなら、喜んで心を込めて神に賛美を、栄光を、礼拝をささげることはごく当然なこと、ごく自然なことです。神からの見返りのためではなく、すでに受けている充分すぎるほどの神からの恵みゆえの、神への賛美、礼拝、奉仕なのです。
同時に神が私にしてくださったことは、私が他の人にシェアをなし、当然伝えずにはいられないほどすばらしい大きなことです。「私が福音を宣べ伝えても、それは誇りにはならない。なぜなら、私はそうぜずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいである」(1コリ9:16)。今、私に必要なことは聖霊の力です。