神に愛されている子供たちよ

2022年09月11日

(招詞) ローマ12:1~2 / 主の祈り

(賛美) 輝く陽を仰ぐ時 主の教えを 神の愛を求める者よ

     栄えの王にます(聖歌456)

(説教) 「神に愛されている子供たちよ」

(聖書) エペソ5:1~7


(みことば)

「こうしてあなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者となりなさい。また愛のうちを歩きなさい。」(エペソ5:1)


 エペソ5章には。「・・・として」、「・・・らしく」、「・・・なのですから」という英語の"as"がくりかえし強調されています。それは「あなたがたは、・・・ですから、・・・ふさわしく、・・・のように、・・・として歩み、生きよ、というのです。神に愛され、神の子供とされた者として、・・・らしく生きるとは?

 それは、神にならう者、愛のうちを歩く者です(エペソ5:1、2)。

1) 神にならう者・・・「ならう」とは模倣、真似ること。「習う」とは「慣らう」、「馴れる」こと、教わったことをくりかえし練習して身につけることです。神が実際に私にしてくださったように私も。つねに神に目を向ける、これです。

2) 愛のうちを歩く者・・・私たちの歩みは、何を見て生きるかに影響されます。私のために、神がキリストを通して現わされた愛が、どれほどのものかを思い起しましょう。ここにすべての問題の答えがあります。

 汚れから離れること、口をきよめることです(エペソ5:3、4)。

汚れとは、不品行、汚れ、むさぼり、みだらなこと、愚かな話、下品な冗談とあります。この世の基準、価値観に倣い、馴らい、惑わされてはなりません。このためには、①避けること、離れること、②聞かないこと、口にしないこと、③主に向かって感謝すること、賛美することです。

 救いの恵みの自覚と危険な仲間から離れることです(エペソ5:5~7)。

「すべて不品行な者、汚れたことをする者、どん欲な者、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない」(エペソ5:5)。そのために、キリストが十字架で命の犠牲を払ってまで救ってくださったことを、私たちは忘れてはなりません。神に愛され、子供とされた恵みを感謝しましょう。これほどまでの尊い神の愛と救いから、巧妙に私たちを引き離す惑わしの言葉に注意しましょう。危険な仲間から離れ、距離を置きましょう。