取るべきところなお多し

2025年01月19日


(招詞)詩篇46:1~5 主の祈り

(賛美) たたえよ救い主主よ 愛と平和で 聖歌514 主の国が望む                        

(説教)「取るべきところなお多し」(下道定身牧師)

(聖書) ヨシュア13:1~14


みことば

 さてヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼に言われた、「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は多く残っている(ヨシュア13:1)

 12章までは戦争と勝利の記事、13章以降は相続地の分割の記事です。イスラエルの民は、神の恵みと高力によってついに約束の地カナンに入り、戦いの末、非常に多くの地を獲得しました。

しかし、それでもなお、多くの取るべき約束の地がまだまだ残ったままでした。私たちは、主が与えてくださると約束された祝福の地を年齢のせいにしたり、自分勝手な理由を並べ、中途半端なところで満足していないだろうか。

ヨシュアはモーセの従者として40年、モーセの後継者としてイスラエルの民を導いて20年、出エジプト時は30歳くらいの若者であった彼も、年を重ねて90歳を超える老人になっていました。それほど主に仕えてきたのですから、もう十分ゆっくり休みなさい、とは言われませんでした。「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地はなお多く残っている。その残っている地は次のとおりである」と言われました。

神は非情で酷なお型でしょうか、違います。考えてみますと、生涯自分が必要とされ、働かせていただき、使命に生かされるとはなんと幸せなこと、名誉なことでしょうか。それも、主が必要な力と勝利を約束し、主ご自身がそれを与えてくださるというのです。私たちは、生かされて命ある限りのその瞬間まで、その置かれたところで主に仕える生涯現役のクリスチャンでありたいものです。

やがて、主がその働きを全うされてお召しくださる時が来たならば「良い忠実なしもべよ、よくやった」と言って、私たちを永遠の帰るべき天の御国に迎え入れ、永遠のねぎらいと真の安息に招き入れてくださいます。その日は必ず到来します。私たちにはまだまだなお多くの取るべきところが残っています。それゆえ、恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しく荒れ。