罪人の友・イエスキリスト

2024年04月28日

(招詞)   エレミヤ29:11~12 主の祈り

(賛美)   主に向かって喜び 神のひとり子 罪とがをにのう(聖歌607) 世には良き友を(聖歌519)                                          

(説教)「罪人の友・イエスキリスト」

(聖書)  ルカ5:31~32

みことば

 「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカ5:31~32)

 「顔かたちや身の丈を見てはならない。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」(サムエル上16:7)とあるように、確かに人は見た目(顔、容姿、服装、職業、家柄、持ち物、学歴、職業、過去の歩み、等々)によって、人をまた自分を判断、評価しがちです。しかし、神はそうではありません。神は、一人ひとりの隠れた深い心を見られます。真面目そうに見える不真面目な人がいます。同時に不真面目そうに見える真面目な人がいます。神は、外見ではなく心を見られます。

 世界には二つのタイプの人が存在します。一つはわかりやすい罪人、もう一つはわかりにくい罪人です。いずれにしても、人は罪人です。「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人は迷い出て、ことごとく無益な者になっている」(ローマ3:10~11)と聖書にある通りです。自覚症状がないまま、癌が進行し、わかった時には手遅れのケースが半数近くあるとのことです。まずは自分の癌に気づくことです。真の赦しといやし、救いは、まずは自分が罪人であること、病んでいる者であることを自覚し、救い主イエス・キリストのもとに行くことです。

 私は聖書と出会いイエス・キリストを知るまでは、自分の内なる恐ろしい罪がわからず、他者を裁き自分は正しいと思い込んでいました。しかし、聖書のみ言葉と主イエス・キリストの光の中で、はじめて自分の罪を自覚できました。私たちの主イエス・キリストは、どんな罪人をも愛し、救い出し、友となるために、十字架にて身代わりの死を遂げられました。罪人を愛し、赦し、友と呼んでくださる主イエス・キリストを心に迎えましょう。