神の介入(ヤコブよ、帰れ)

2020年11月22日

賛美

高き譽れと賛美

私の望みは主イエスだけに

主よささぐる(聖歌296)

ずっと愛されてた

聖書 創世記31:1~32

説教 「神の介入」(ヤコブよ、帰れ)

下道 定身 牧師



みことば

「わたしはラパンがあなたにしたことをみな見ています。わたしはベテルの神です。かつてあなたはあそこで柱に油を注いで、わたしに誓いを立てましたが、いま立ってこの地を出て、あなたの生まれた国へ帰りなさい」。(創世記31:12~13)


緒論

どんなに考えても、もがいても、がんばっても、どうにもならない危機的状況や問題が私たちの人生に満ちている。しかし、ふと立ち止まって振り返る時、そこにあなたの人生と共にあった神の介入の御手が見えるだろうか。

本論

1.ヤコブよ、約束の地カナンに帰れ(創世記31:1~3)

6年前のヤコブの申し出はかなわず、実現しなかった(創世記30:25~43)

あれから6年後、神のみ言葉によって一歩を踏み出した

2.すべての局面で神の介入があったればこその今(創世記31:4~21)

ヤコブの今あるは、ただただ神の恵み、神の介入による

ふたりの妻たちラケルと信仰と同意

3.神の介入による奇跡の解決(創世記31:22~55)

神の介入による守りと奇跡の和解

神の介入がなければ・・・神の介入があるなら・・・神の介入を求めよ

結論

ヤコブの誕生から死に至るまでの全生涯のすべての局面において、神の介入の御手が彼と共にあった。それゆえ、彼はイスラエルの父となったのだ。神は、私たち一人一人の人生にも深く介入してくださっておられることを覚えよう。