みことば
「死人がよみかえることは、モーセも柴の篇で主を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼んで、これを示した。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生ける者だからである。」(ルカ18:1、2、7)
緒論
この世の名誉、権力、栄光、安泰を求めていたサドカイ人は、霊的な恵みや死と永遠の問題に関しては無関心であった。聖書は持っていたが、偏っていた。彼らは死後の世界を信じず、得意げに復活を否定した。そしてしばしば、信仰的には水と油の関係であったパリサイ人と主イエスを陥れる目的で一致した。
本論
1.カイザルのものはカイザルに、神のものは神に(ルカ20:19~26)
・祭司長(サドカイ派)、律法学者(パリサイ派)、長老(部族、町の長)たちの策略
・デナリ硬貨のカイザルの肖像と、人の内に刻まれた神の肖像
2.アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神は、生ける者の神である(ルカ20:27~40)
・過去に死んでしまった信仰者たちの復活の希望と生ける神
・現在のクリスチャンの復活の希望とアブラハム契約の継続
3.人はみな、神によって神に生きる者である
・人はみな、神によって生かされている者である
・人はみな、神によって生きるべき者である
結論
かつてのアブラハムの神、かつてのイサクの神、かつてのヤコブの神であった(過去形)のではなく、現在もアブラハム、イサク、ヤコブの神である(現在形)。すなわち、今も神によって彼らは生きており、彼らの神は私の神である。