愚直なまでの誠実さ

2024年07月21日

(招詞)  ローマ12:1~2 主の祈り

(賛美)   主の宮 主は我が力 あなたの御声 主に従いゆくは                                      

(説教)「愚直なまでの誠実さ」(下道 定身師)

(聖書) エレミヤ35:1~9


みことば

 「レカブの子ヨナタブの子孫は、その先祖が彼らに命じた命令を守っているのである。しかし、この民は私に従わなかった。」(エレミヤ35:16)

メッセージ

 レカブ人とはモーセのしゅうとイテロの子孫であり、イスラエルの人々が荒野を旅した時、彼らを助け道案内をしてくれた人たちで、良き指導的役割を担いました。

 その信仰は非常に純粋で、神の御前に愚直なまでに誠実を貫きました。彼らは、イスラエルと共に荒野を経てカナンの地に来ましたが、自分たちの信仰の純粋さを守るため、他の人たちと一線を引いて交わらず、酒を飲まず、荒野に住んで土地を持たず、家を建てず、彼らの先祖から受け継いだ信仰と教えを固く守ってテントに住まい、生涯旅人としての生き方に徹しました。

 このようなレカブ人の信仰の生き方に異議を唱える人々もいます。世間との付き合いがあまりなく、酒、タバコをのまず、社会から孤立し、浮いた存在にはなってはいけない、教会は、その街に遣わされた使命があり、積極的にこの世とかかわり、政治の問題、行政の問題、山積みする社会の問題と深くかかわり、教会はもっともっと外に目を向けて影響力を発揮すべきであると主張します。

 その通りです。重要な指摘です。内側にばかり目を向け、外側への目を失ってはいけません。しかし、主は社会の問題、時代の流れや外側ばかりに走りすぎ、純粋であの愚直なまでに誠実な信仰を失う危険について語られます。イスラエルは「わたしがしきりに語ったけれども、わたしに聞き従わなかった」(エレミヤ35:14~16)、ここにイスラエルの、この時代の、この私の問題の核心があります。

 イスラエルの不幸は、彼らに力がなかったからではなく、その信仰が世俗化し神の言葉に耳を傾けないところにありました。異邦人レカブ人は、世俗化に陥らないように、その先祖ヨナタブの教えをエレミヤの時代まで約280年間忠実に守ってきたのです。彼らの愚直なまでの誠実さから学ぼう。