復活(いつまでも残る信仰、希望、愛)

2021年04月04日

賛美

イースターの朝には(聖歌664)

いざ人よほめまつれ(聖歌198)

よみがえられた主に仕えて

多くの冠主に(聖歌179)

聖書 ルカ24:1〜12

説教 「復活」(いつまでも残る信仰、希望、愛)

下道 定身 牧師



みことば

「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。その方はここにはおられない。よみがえられたのだ」。(ルカ24:5、6)


人が懸命に努力し大切に守ってきた宝が一瞬で消え失せてしまう時代である。否、いつの時代もそうであった。富も、健康も、人の命も長続きはしない。今、人がこの目で見ているもの、手にしている宝はすべて消えゆくものである。しかし、いつまでも変わらずに残る、すなわち私たちが真に求むべきものが3つある。それは、本物の信仰と希望と愛である。

主の弟子たちは、その信仰と希望と愛を主の中に見出したはずであったが、主の十字架につまづき不信仰におちいり、希望を見失い、何より髪の愛がわからなくなりかけていた。そんな彼らを一変させたのは、主の復活について数人の女たちの証言とペンテコステの聖霊体験であった。

その女たちは、イエスの亡骸を葬った墓を確認し塗るための香料を準備して、イースターの朝、身の危険も墓を塞ぐ大きな石も顧みず、夜明けと共に墓に向かった。消えることのない主への信仰と希望と愛が、彼女たちを行動に駆り立てた。同時に、それらの背後に彼女たちへの、また弟子たちへの、そして私たちに対する、主ご自身の変わることのない信仰と希望と愛があったことを忘れてはならない。

私たちの信仰、希望、愛の土台とその裏付けは、主イエスキリストの復活である。主イエスキリストの十字架のと復活の歴史的な出来事こそ、私たちの信仰と希望と髪の愛の揺らぐことのない原点である。死からよみがえられた主、今日も生きておられる主への信仰に立ち、主のご再臨の希望に生き、神の愛の中に歩んでゆこう。

もしキリストがよみがえられなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、・・・単なる望みを抱いているだけだとすれば、最もあわれむべき存在となる・・・しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである(1コリ15:16~20)