主の復活とあなた

2024年03月31日

(招詞)   ヨハネ11:25、1コリント15:42~44   使徒信条

(賛美)   ハレルヤ主をほめよ 主がそばにいるから 主は道を日々 いざ人よ(聖歌168)                                             

(説教)「主の復活とあなた」

(聖書) マルコ14:22~31

みことば

 週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤにご自身をあらわされた。マリヤはイエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。(マルコ16:9、10)

 私は「絶対に主イエスのもとを離れません」と豪語した弟子たちは皆、主を見捨て、十字架の主から逃げ出しました。最後まで主に従ったのは、数名の婦人たちでした。彼女たちは、身の危険を覚悟で大きな石が立ちはだかる中、日曜日の早朝にイエスが納められた墓に向かいました。すると、石はすでに転がされており、主の復活とそれを伝えるようにと告げられます。復活された主は、まずマグダラのマリヤに現れました。

 弟子たちは、彼女を通して主の復活の証を聞いたが信じられず、泣き悲しんでいた。そんな弟子たちに復活の主が現れてくださり、全世界に出て行って、すべての人にこの福音を伝えよと命じられました。主ご自身の口から直接何度も聞き、またマリヤの証言を聞きながらも信じられなかったほどの、しかし、すべての人のための、すべての人が信ずべき最も大切な福音、全世界に知らされるべき福音です。

 主イエスが墓を打ち破り、死からよみがえられたイースターの出来事が、2000年も経過した今日の私たちにとって、また全世界の人々にとってどんな意味と関りがあるというのでしょうか。この私を含めいつの時代でもすべての人にとって避けて通ることのできない最大の敵は死です。人は死の前に無力です。しかし主イエスの復活は、そのように支配され縛られている私たちに、解放と勝利をもたらしてくださいました。主イエスは全人類の罪をその身に背負われて十字架で死なれ、三日目に死を打ち破り、よみがえられました。私たちの進行、希望、確信の土台、根拠は、主イエスの復活にあります。

 「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)この救い、この福音をすべての人に。

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