過越の恵みを

2023年01月15日

(招詞) 詩篇103:1~5 主の祈

(賛美)     いざ、みな来たりて 愛の光、輝き わたしの望みは 主は道を

(説教) 「過越の恵みを」

(聖書)  民数記9:1~14


(みことば)

 エジプトの国を出た次の年の正月、主はシナイの荒野でモーセに言われた、「イスラエルの人々に過越しの祭を定めの時に行わせなさい」。(民数記9:1)

 ちょうど一年前の正月、神は最初の過越しの出来事を通して、イスラエルを出エジプトに導かれました。そして一年後の正月、彼らがシナイの荒野に出発するにあたり、神は彼らに過越の祭を行うように命じられました。あの過越の経験、祝福は、忘却に消えゆく過去の経験ではないからです。

 過越がなければ、イスラエルは存在しませんでした。過越祭は、彼らにとってイスラエル民族であることの根幹でした。過越祭は、選民イスラエルの彼らがどのようにして出エジプトしたかを思い起し、神の救いの原点に立ち返り、神のみわざに感謝し喜び祝う祭りでした。

 彼らがエジプト全土を襲った初子の死という災いから救われたのは、さらにエジプトでの悲惨な奴隷から解放されたのは、傷なき小羊の血(命)による過越という神の一方的な恵みと力によるものでした。神は彼らがそのことを忘れないために、時と定めに従って過越祭を制定されました。

 現代のクリスチャンにとっての過越とはキリストの十字架です。十字架がなければクリスチャンは存在しませんでした。クリスチャンにとって主日礼拝会は、キリストの十字架による救いを感謝し、神に礼拝ささげる過越祭です。とくに、聖餐式は十字架で流された小羊なるイエスの血(命)による救いを思い起して、記念する過越祭です。また、洗礼記念日は、自分がいつ、どこから、どのように救われたのかを想起する個人的な過越祭の日です。

 死者に触れたりその他の理由でやむなく過越祭を行えない場合は、時をずらして、しかし自分の意志や都合で過越祭を軽視する人は、民のうちから断たれると厳しく戒められています。あなたにとっての過越祭は。