はじめに
幼き者(この世で最も弱き者)を受け入れる者になるためには、私たちは愛され、受け入れられる経験をもっていなければなりません。私たちクリスチャンは罪人でなんの価値のない者ですが、主は私たちを愛し、受け入れてくださいました。ここに私たちがキリスト者として成長していく原点があります。この事実をしっかり理解していきましょう。
本論
1.主イエスさまが繰り返した言葉
・第2の受難予告:マルコ9:30〜32
・第1の受難予告:マルコ8:31
・第3の受難予告:マルコ10:32〜34
⇨①イエスの十字架による罪のあがない(十字架)、②罪に打ち勝ったよみがえり(復活)
2.主イエスさまが弟子たちに求めたこと〜クリスチャンとして成長すること
・主に従う者になる(マルコ8:34)
・幼き者を受け入れる人になる(マルコ9:30〜37)
・仕える人になる(マルコ10:45)
⇨謙遜で従順な人になる
結論
主の教えを受け入れ、実践していくことは難しいことです。しかし、主に愛され、受け入れられた経験を持つ者は、この主の教えを実践していくことができる者であると聖書は語っています。そのことを信じますか。