神よ、何故ですか?どうしてですか?

2023年07月30日

(招詞) マルコ2:16~17 主の祈り

(賛美)     天にあるものすべて 谷川の流れを 栄光、栄光、イエスに

     何ゆえ、み神は(聖歌450)                                 

(説教) 「神よ、何故ですか?どうしてですか?」

(聖書)  エレミヤ12:1~6

みことば

 「悪人の道がさかえ、不真実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか」。(エレミヤ12:1)

 主よ、あなたは常に正しいことを知っています。しかし、なお、やはり、わかりません。悪人の道がさかえ、不真実な者がみな繁栄するのはなぜ?どうしてですか?とエレミヤは主に訴えます。(エレミヤ12:1)

 頭では主を知っているつもりでも、現実の諸問題の前にたじろぎ、「主よ、なぜですか?どうしてですか?」とつぶやいてしまう私たちです。主は「見えると言い張るところに、あなたがたの罪がある」(ヨハネ9:41)と教えられたように、私たちがどんなに考えても理解不能な、できないことが満ちています。

 正しい人が良い結果を、悪い人が悪い結果をと普通は考えますが、現実は必ずしもそうではない。正しい人が不幸に、そうでない人が栄えたりする。正しい人が不幸に、そうでない人は栄えたりする。一体、このような現実をどう理解したらよいのでしょうか。義なる神がおられるなら、なぜこのような矛盾があるのでしょうか。

 神を信じない悪人が、また自己中心の不真実な信仰者が繁栄するのは、エレミヤにとってどうしても考えてもわからないことでした。しかし、義なる神がどうしようもない悪人を愛しておられる、という矛盾に思えるところに、すべての人の、そしてこの私の救いと希望があります。

 1節のなぜ?に続いて、4節のいつまで?の疑問もあります。時も含めて、私たちにはわからないことが多くあります。しかし、神はその意味も、時もすべて知っておられ、御手の中にあることを信じます。

 私たちは、以下の5つのなぜ?について思い巡らしましょう。①世界の多くの理不尽、矛盾に対して、②私の個人的な諸問題、住苦しみに対して、③私が生まれてきたこと、私の人生そのものに対して、なぜこのことが?、何か意味などが?、いつまで?、の疑問を抱きます。④さらに、このような罪人の私に対して、⑤最大のなぜは、神の御子の十字架に対して、です。

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)。なぜでしょうか?