みことば
ところが、フェストはユダヤ人の歓心を買おうと思って・・・(使徒25:9)
総督はペリクスからフェストに代わったが、ペりクスはユダヤ人の歓心を買おう(気に入られよう、恩を売ろう)として、パウロをカイザリヤの牢獄に2年間監禁したまま放置しておきました。(使徒24:27)
次の総督がフェストに代わると、主だったユダヤ人と祭司長はパウロをエルサレムにおびき出し、その途上に彼を殺害する計画を立てフェストに持ち掛けます。フェストは、ユダヤ人の歓心を買うために(気に入れられようとして(使徒25:9))、いったんは彼らの提案を退けつつもパウロにエルサレムの裁判を持ち掛けます。実に策略的です。
今週の説教題は「真に恐るべきは」です。人を恐れる者と神を恐れる者についての聖書からのメッセージです。人は誰でも目に見えないものにではなく、現実的な見えるものに目を向け、心をとらわれてしまいました。ペリウスやフェストだけでなく、主イエスを十字架に引き渡したポンテオ・ピラトも同じです。そして彼らは決して他人事ではありません。目に見える立場、都合、富、また人の目、耳。口、評価を恐れ、捕らわれてはいないだろうか。
一方、パウロをはじめすべてのクリスチャンは、神を恐れ、神に信頼し、神に委ねて従う生涯に変えられました。「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである。」(Ⅱコリント4:18)
人が真に恐れるべきは、人でもまた目に見える一時的なものでもなく、神を恐れることがすべての人の本分であり、知恵と知識のはじめであると聖書は教えます。「人を恐れるとわなに陥る。主に信頼する者は安らかである」(箴言29:25)。「主を恐れることによって人は安心を得、その子らは逃れ場を得る。主を恐れることは命の泉である。人は死のわなから逃れさせる」(箴言14:26~27)