もし、あなたが

2024年04月14日

(招詞)   ピリピ4:4~7 主の祈り

(賛美)   尽きることのない 私は目をあげ ことばに表せない 栄の王にます                                          

(説教)「もし、あなたが」

(聖書) 申命記28:1、15

みことば

 「もしあなたがたの神、主の声に聞き従い、わたしがきょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、」(申命記28:1)

「しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと命令とを守り行わないならば、」(申命記28:15)

 人生には自分の意思で選べるものと、自分の意思と選択を越えたものがあります。日常生活での些細な選択があり、人生を一変する大きな選択もあります。善しにつけ悪しきにつけ、人生のターニングポイントとなる選択の場面があります。「あの時の、あの選択が今の祝福を」、また「あの時の、あの間違った選択の一歩が人生を狂わせ」るのです。最初の人、アダムとエバは、その自由意思を間違った選択に用いて取返しのつかない結果をもたらしました。また、家族、いのち、時代、災害、その他もろもろの自分の意思と選択を越えた領域があります。そこで、私たちには正しい選択と決断が、また同時に神を恐れ、信頼し、委ねる信仰という両面が必要です。   

 「見よ、わたしは、きょう、あなたがたの前に祝福とのろいを置く」(申命記11:26)、「もし、あなたがたが主の戒めに聞き従うならば祝福を受け、もし、あなたがたが主の戒めに聞き従わず、道を離れるならば、のろいを受けるであろう」(申命記11:27、28)とあります。聖書が一貫して私たちに教え、語りかけておられる最も重要なメッセージです。そして、どちらを選び取るかは、私たちの側の選択にかかっているというのです。 

 もし、あなたが主の声に聞き従うならば、申命記28:1~14のもろもろの祝福が約束されています。しかし、あなたが主の声に聞き従わいならば、申命記28:15~68のもろもろののろいが警告されています。 

 私たちはわかっていても、肉の弱さゆえに、悪魔の誘惑に簡単に負け、間違った選択をしてしまいます。それゆえ、助け主なるご聖霊を必死に呼び求めなければなりません。なんとしても、聖霊の助けが必要なのです。