犠牲と救い

賛美
主の祈り
御座におられる
注ぎたまえ主よ
エジプトに住める
聖書 出エジプト12:1〜20
説教 「犠牲と救い」
下道 定身 牧師
みことば
「その夜、私は工ジプトの園をめぐってエジプトの固におる人と獣とのすべての初子を打ち、エジプトのすべての神々に審判を行うであろう。私は主である。その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのためにしるしとなり、私はその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。(出エジプ卜12:12.13)
エジプト全士に過去、誰も経験したことのない不気昧な災いが次から次へと起こります。ナイル川の水が血に変わり、魚は死に、水が飲めなくなる。続いて工ジプト全土に蛙の大群が、ぶよが、おびただしい数のあぶが、さらに激しい疫病が、膿の出る腫れ物が、恐ろしく大きな雹が、いなごによる大災害が、 三日間にわたる深い暗黒が全地を覆います。しかし、イスラエルの民が住むゴシェンの地だけはすべての災いから守られました。実は、これらの災いは神の御手によるものであり、神からの語りかけでした。
モーセは神の召しを聞き、葛藤の中で抵抗しつつも、神の不思議なご計画と約束に残りの人生をかけた。そして不安と恐れを抱えつつ、従う決断の一歩が彼の人生そしてイスラエルの歴史を変えた。
人は災いに対して二通りの反応をします。 一つは、災いゆえに不信仰となり、神から離れます。これは人間(自己)申心の信仰です。もう一つは、災いを通して神を求め、信仰に立ち返る人々です。これは神中心の信仰の姿です。異邦の王パロでさえも、災いの日には神を恐れモーセに祈りを要請しました。あなたの信仰は?
そして、ついにその時が到来しました。10番目の致命的な災いです。その夜、エジプト全土のすべての初子と家畜のすべての初子が、一夜で死んだのでした。ただし、自宅のかもいと二本の門柱に小羊の血を塗ったイスラエルの家は災いが過ぎ越され、無事でした。そして、ついにかたくなパ口の心が砕かれて、イスラエルの民は出エジプトを果たします。
過越の夜、エジプト人とイスラエル人の初子の生死を分けたものは、何だったのでしょうか。それはかもいと2本の門牲に塗られた小羊の血でした。イスラエルの民が守られ、救われ、出工ジプトができたのは、小羊が屠られて流されたその血によるものでした。
この過越を通しての出工ジプトの出来事(BC1230年頃)は、現代の私たちに何を語っているのでしょうか。 ①人間の救いは、十字架の血による愛と、恵みをただ信じるだけで無償で与えられます。②しかし、私の救いのために私に代わって主イエスの十字架の血(命)という驚くべき史上最大の犠牲があったことを忘れてはなりません。③やがて神の前に立つ時が来ます。その時、私が何をどれほど、したかではなく、主イエスの十字架の血こそが私たちの救いの唯一の決め手(保証)となることを心に銘記しましょう。